母は前回書いた様に、私の身体の変化や性的な部分について気持ち悪いと言うことがよくあった。
小学校高学年の時、周りはほとんどスポーツブラをつけていた。
私はというと、買ってもらえるはずもなく、胸が透けたまま。
私は、周りの変化には自分で気付かないと。親は教えてくれない。私の親は普通ではないから。と、小さい頃から気づけていたから、しないのはおかしいと分かっていた。
毒祖母がたまにお小遣いだけはくれたので、それを使って学校帰りに一人で買いに行った。なんだか自分が悪いことをしているような、そんな気持ちだった。それでも「悪いことじゃないよ。大丈夫。おかしいのは親だ」と、小学生の私は自分に一生懸命言い聞かせて、下着売り場まで行った。一人で行くのはすごく心細くて、虚しかった。さっさとサイズもわからぬままに購入し、バレないように鞄に隠して家に帰った。
それから何日かは学校帰りにトイレでブラをはずし、バレないように帰った。大丈夫といくら自分に言い聞かせていても、親の顔が浮かぶとそれも怒られる、気持ちの悪いことだ。と罪悪感が生まれるから。とにかくバレてはいけないと思った。

しかし、バレた。
また父が私の服を漁り、奥にしまってあった下着を見つけたのだった。
帰ってすぐに母が怖い低い声で「あんた、何これ。こんな気持ち悪いものして!」と、やはり怒られてしまった。
その時私は「友達が忘れて行っただけだよ」と、とっさにおかしな嘘をついた。
「また嘘ばっかりいいやがって!」と、頭を何度もぶたれた。
これもまた、じゃあ私はどうすればいいの?じゃあみんなはなんでしているの?みんなに笑われながら、胸が透け透けのまま学校に通い続ければいいの?体操服に着替える時に、どうすればいいの?と考えながら隠れて泣いた。
それでも私はおかしくないと言い聞かせて、怒られてもそれをやめることはなかった。

その頃私は朝、登校班で集合し学校まで通学していた。
そこに、知的障害の男の子が一人いた。お母さんといつも来ていて、お母さんに甘えていた。私の祖母も登校班の集合場所に毎朝ついて来ていたのだけれど、その子に対して酷いことを言っていた。
ある日、いつものように男の子がお母さんと来ていると祖母がその子に向かって「そんなにおっぱいが飲みたいのか!!そんなに見たいんならほら!!」と笑いながら言い、なんと、自分の胸を出した。
私は、その男の子の顔と、お母さんの引きつった顔を見て「やめなよ!!気持ち悪い!!」と言ったけれど、祖母は悪気もなくただ馬鹿にして笑っているだけだった。自分の家族を他人が見る目は、いつも狂っている人を見るような目だったこと、私自身も色々な先生や友達、人と関わるようになり、私の家族はずれている。かなりおかしい。と感じていた。私は毎日毎日この狂った家族から逃げ出したい気持ちでいっぱいだった。


祖母に強制的に習わされたピアノ。
その先生に初めて会った時、私の母はこう言った。
「言うことを聞かなかったら、すぐに加減なく何回もぶっていいんで」
と、笑って。
私も運悪く、その女の先生はそれをいいことに私でストレス発散をするようになった。
私にだけきつくあたり、他の子には優しくする。私に何をしても、親は何も言ってこないことを知っていたから。
私も私で、そんな会話を聞いた以上「酷いことをされる!」といくら親に訴えても「あんたが悪いんだ!」となることは目に見えていたから、怖くてまた、言えなかった。

毎日、我慢我慢我慢我慢
私の話は誰も聞いてくれない
誰に話せばいいの?
話すことが怖い
お願い誰か助けて
怪しまれるようなことはしてはいけない
私は何のためにいるんだろう?
学校でも、家でも、誰にも必要とされていないじゃない
私は気持ち悪いんだ
私は何も出来ない子なんだ
私はダメな人間なんだ
生まれて来なければよかった
こんなことになるんなら、生まれたくなかった


そんな気持ちで毎日過ごしていた。
自分でも性格が変わったと感じた。暗くなり、誰とも話さなくなり、泣いていてもぶたれるので、声を殺して家で泣いた。思うことがあっても口ごたえしない。悩みがあっても話す人がいない。友達に話したところで小学生の子がかけられる言葉なんて、ほんの少ししかない。誰も私を助けてくれない。違う、私は私が助けるんだ。一人でも大丈夫。私は強い子だ。
そんなふうに落ち込んでは、自分で自分を励まし、なんとか一日一日を乗り切った。


友達の家に行くのも、あまり好きではなかった。だって、本来の親の在るべき優しさを見せびらかされているような卑屈な気持ちになってしまう。
私のお母さんは、そんなこと言ってくれない。と、悲しくて虚しくて、泣きそうになってしまう。
「おかえり」「今日は楽しかった?」「えらいじゃん」「Mちゃんいらっしゃい」
そういう会話がすごく羨ましくてたまらなかった。おかえり、なんて言ってもらったことない。えらいね。なんて言ってもらったことない。一回でも言ってくれたら、私はどんなに救われただろう。なんで、私のお母さんはこの人じゃないの?こんなお母さんがよかったのに。
そんな気持ちになってしまう。
その反面、自分の家より落ち着く場所が、友達の家でもあった。
夕方になり、お母さんがご飯だよと言う。
私は友達が何の気なしに言った「そろそろご飯だから。また遊ぼうね!」という言葉を聞いて、また悲しくなるのだった。
今からあの家に戻らなきゃいけない。と思うと、天国から地獄に引き戻されるような気持ちになった。
泣くのを我慢して「じゃあまたあしたね!」と言って、泣きながら家に帰っていた。

家に帰ると、いつも通り、怒り狂っている母。友達の親との違いに、また泣きたくなってしまう。
ご飯を食べてからお風呂に入る。これも、私は苦痛だった。
私の家は借家で、ボロボロの家だった。それはしょうがないかもしれない。だけど、母が掃除をしない為、家の中もぐちゃぐちゃ。お風呂は脱衣所がなく、廊下にある引き戸を引くとすぐにお風呂。昔っぽい、銀色の小さな浴槽に、壁は青いボロボロのタイルが貼ってある。
ゴミと埃だらけの廊下で着替えるしかない。しかし着替えている廊下は、父も含め家族のいるリビングから丸見えだった。
それも嫌だと言ったけれど、我儘だと怒鳴られ、ぶたれた。

その頃、飼っていた犬が死んだ。
私は昔から動物が好きだった。犬をすごく可愛がっていた。
しかし癌になり弱り、死んでしまった。
母も動物は好きで、それなりに可愛がっていたのだが、癌になってから歩くことが出来なくなってしまった犬を、玄関に放置しパチンコに行った。祖母も同じく放置。
私は小学生の頭で出来ることを必死に考えたけど、学校へ行かなくてはいけない。ずっと、見て居てあげることが出来ない。辛そうな犬の頭をそっと、泣きながら撫でてあげることしか出来なかった。何にも出来ない自分がすごく嫌で、犬が可哀想で仕方なかった。
やがて餌も食べなくなり、犬は死んでしまった。
母はあれだけ可愛がっていたのに、ただおもちゃが壊れただけというような顔で、泣くことも悲しむこともなく、あーあ。死んじゃった。しかたないね。という反応だった。一応、焼きに持って行っていたけど、骨は私が通っていた小学校の裏にバラまかれた。
私は、ごめんね。辛かったね。何にも出来なくてごめんなさい。私と一緒に居て幸せだった?ごめんね。と思いながら、毎晩隠れて泣いた。
母も犬のように、私のことは自分の気持ちを発散するおもちゃのようにしか思って居ないんじゃないか。私が同じように死んでしまっても、情すら微塵も湧かないんじゃないか。と感じた。




次回へ続きます