私の家族構成はというと

(毒父) 単身赴任、家にあまりいない、母に逆らえない、挙動不審

(毒母) 専業主婦、家事を殆どしない、いつも何故か怒っている、パチンコ依存症

(毒祖母) 毒母の親、昔気質

簡単に書くとこんな感じです。
祖母も同じ家に住んでいた。
ちょっとありえないと思われるかもしれないけど父母祖母と3人とも毒であり、おかしな家族だった。


まずは私の生い立ちと、幼少期の出来事を書こうと思う。

父は単身赴任なので私は小さい頃の殆どを母、祖母と過ごしていた。
母は私が産まれた時からギャンブルが大好きで、私が熱を出しても夜中まで帰って来ないなんてことは普通だったから、そんな時は祖母に面倒を見てもらっていた。毒母と毒祖母の板挟みになりながら育った。

初めて幼稚園に行く日、母にいきなり「今日からあんた学校だから。」と告げられ、説明もないまま幼稚園に連れていかれた。ギャンブル依存症の為、もちろんお迎えになんて来るはずもなく、いつも売れ残りのような気持ちで幼稚園の先生とみんながお母さんと帰って行く姿を見ていたのを、今でも思い出す。
祖母は何故迎えに来ないのかというと、祖母も母と一緒にパチンコを打っていたから。
そして近所のおばさんが代わりに迎えに来るというのがいつものおきまりのパターンだった。そして 「お母さんパチンコがでちゃってて来れないんだって。Mちゃん可哀想だねえ。」とよく言われた。
今思うと、幼稚園児にこれを言う近所の人もちょっとおかしいと思う。

そして小さい頃から母の口癖は
「あんたは要領が悪い!」
「注意力がない!」
「うるさい!」
「ぶたれたいのか!」

だった。自分の機嫌や気に入らない事があるとすぐに手が出る。しかも加減はなし。私の頭は今でもそのせいでボコボコ。
そして私に喋らせない。私は何を怒られているのか分からず、意見を言おうとしたけれど、その前に頭を何度も加減なくぶたれ、何を言えずに泣いていた。そうやって暴力を平気で振るう親だった。母だけではなく祖母も。祖母の手形がくっきりの、赤く腫れ上がった太ももを隠しながら学校へ行ったこともある。


父が仕事からたまに家に帰って来ると、母との喧嘩が始まる。
母はもう、ずーーーーーーっと怒っている。仲良くしている両親を見た事がなかった。父は母が私に暴力を振るっても、何をしても、「やめろよ〜」と小さい声で言うだけか、黙って見ていた。


そんな毎日を過ごし、小学校に上がった。ここからがもっと壮絶だった。
学校で視力検査を受けると、眼科へ行ってくださいとのことだったので祖母に連れていかれた。弱視だと診断を受け、矯正メガネをかけなくてはいけない事になる。
弱視用のメガネって、牛乳瓶の底みたいにすごく厚くて目が物凄くでかくなるの。ギョロ目みたいに。
それをかけて学校へ行くのがすごく嫌だった。すると祖母がありえない行動に出る。
「あんたのクラスでメガネの人いないのかよ!」と言われ数人答えると、なんと連絡網を見て電話をかけ始めた。
やめて!!と、泣きながら訴たけど、うるさい!!と言われ跳ね除けられた。
「うちの子が明日からメガネ掛けて行くからよろしくね!!!」と話していた。
次の日学校へ行くと案の定、噂になっていてみんなに笑われた。そこからいじめに発展。

「きもいんだよ。」
「死ねよ。」

と、毎日言われ泣きそうになりながら帰った。でも、家にはまともな大人がいない。話せない。
先生に話そうかなと思ったけど、先生から親に伝わることを知っていたので、親に知られれば私が怒られると思って怖くて誰にも言えなかった。

他に、家で洗濯物を出すと、毎日祖母が私の下着の匂いを嗅いでいた。とにかくそういう気持ち悪いことを平気でやるような家族だった。
家に誰もいない日、よく近所の人の家に行っていたのだけれど
「Mちゃんのママ怖いね。」と言われ、どうして?と聞くと「いつも怒鳴り声やドンドンする音が聞こえる。」と言われた。
私は暴力や家族がおかしいことに気づいてもらいたくて必死に訴えたけど、波風をたたせたくないと思うのが普通で、結局知ってはいるものの直接は言えない。という人達だけだった。それが当たり前なのかもしれないけれど。
学校ではいじめ、家に帰ると毒親。それに加えて私は自分の部屋を与えてもらえなかったから、落ち着く場所もなかった。あの時どうすればよかった?と今でも自問自答することがある。
警察にでも行ったら良かったんだろうか。児童相談所に〜なんて考えたけど、小学校低学年の私にはそんなことが思いつかなかったよ。
警察に行ったって、どうせ親に報告されて怒られて、嘘だと思われるんでしょ。くらいに思っていた。


それでも私の親のずるいところは

ご飯はきちんと食べさせる。食べ物には困らせない。
クリスマスプレゼントもくれるし、たまに何処かへ遊びにも連れて行ってくれる。習い事もさせられたし、帰りが遅いと怒る。
そういう、食べ物がないとか、プレゼントもあげないとか、帰りが遅くても心配しないとか、全く何もしない訳ではないというところ。


よく、ネグレクトだとか過干渉だとか、精神的虐待、身体的虐待とか言うけれど
母はパチンコで迎えに来ない、家にいない、熱を出しても放置、機嫌で過剰な暴力、私を馬鹿にするような言葉、部屋を与えてくれない
祖母は祖母で私に教養を身に付けさせたかったのか、やりたくもない習い事に日替わりで沢山通わせたり、はたまた下着の匂いを嗅ぐという気持ち悪いことをしたり、なんかもう一括りにネグレクトです。とか、過干渉です。というわけじゃなく、いろんな要素が入り乱れてたと思う。

母と祖母にはまだおかしなところが沢山あった。
まず、二人とも歯磨きをしない。
そもそも家に歯ブラシがない。あるのは父のものだけ。
だから母は前歯が全てない。だけどそのまま放置していた。恥ずかしくて友達なんて呼べなかった。加えて自分の部屋もないのだから。
そして、お風呂に殆ど入らない。化粧もしない。
今思うと、週に1度くらいしかお風呂に入っていなかったと思う。
そんな感じだったから、幼稚園に入って初めて歯磨きをすることを知った。もちろん歯を磨いてもらったことなんてない。
それを知っている父も何も触れない。

小学校高学年のころ、親の物置になっていた部屋が私の部屋になった。
母の部屋とは襖一枚で隣同士の部屋。
学校から帰ると、部屋のものの配置がおかしい。
父が勝手にいじっていたのだった。
それは私が家を出る23歳まで続いた。「片付けないからだろうが」という理由で、私の部屋に入り色んなものをいじっては勝手に捨てたり、見たりしていた。
祖母は私がゴミを出すと、「これ出しておいた」と、勝手にゴミを漁り物を出して持ってくる。

こんな感じで祖母は下着の匂いを嗅ぐ、私のゴミを漁る、父は部屋を漁る、ということでプライバシーも何もなかった。こうして私は本当にどこに居ても安心することが出来なくなってしまった。





次回はこの続き。