一歩前へ by moppu -32ページ目

一歩前へ by moppu

年寄りの戯言です。お気に障る表現等があるかもしれません。その際は、平にご容赦くださいますよう、お願い申し上げます。

今から40年近い昔、当時高校3年生だった私は、弟を連れて北海道へ出かけました。

受験を控えた夏休み、友人は捻り鉢巻きで受験勉強をしている時に、20日間の貧乏露旅行をしました。

所持金は弟と二人で8万円。

アルバイトをし、ずっと貯めていた小遣いを全てはたいて出かけました。

当時は、各地にユースホステルがあり、安い料金で泊まれましたが、電車賃と食費に多くが消え、何度か駅のホームで野宿をしました。

あの時見た、北の大地の大きさと空の近さを今でも忘れません。

昨年ソウルまで弟の介助でついて行った時、「良くなったら、もう一度北海道に行きたいな。今度は大名旅行をしようぜ。」と約束しました。

それは、果たせぬ夢となりました。

あの貧乏旅行の時泊まったユースホステルで聞いた「岬巡り」を、今でも思い出します。

何故なんでしょうね、涙がこぼれてきます。

やっぱり、弟はいけません。年下は良くないです。

今日は、私自身の闘病を書いてみたいと思います。

私が膵臓に癌があると判ったのは、妹の発病がきっかけでした。

妹が突然黄疸症状を起こし、その原因を探ったところ膵臓に癌があり、既に手遅れの状況でした。

兄弟は、体の形質が似ている場合が多いので、念のためにCTとMRI検査を行ったところ、私にも膵頭部に癌が検出されました。

診断はステージⅡaで、リンパ節転位は膵臓周辺のみとの診断でした。

病院からは手術を勧められました。

当時主任の立場で入試直前の時期でもあったので、手術による長期入院とその後の治療に掛かる時間を考えて、手術を逡巡していました。

しかし、妹の状況やセカンドオピニオンの意見等も参考にした上で、手術に踏み切りました。

担当医が膵・肝臓の専門医だったので、膵頭部の切除と共に放射線の照射も受けました。

手術は成功で、患部は全て取り除かれました。

その後の3年間は、非常に良好にすごしました。

定期的な検査のマーカー値等も安定しており、全く問題がない状況ですごしました。

しかし、昨年の夏以降、マーカー値等に異常値が目立つようになってきました。

念のためにPETやCTを何度か受けましたが、今の処再発等はないようです。

マーカー値は余り当てにならないことは、妹や弟の事で判っていますので余り気にしてないことにしています。

先週も検査を受けましたが、きっと問題はないだろうと思っています。


自分の経験を通して思うことは、検査の重要さです。

自分は何も無いと思っていても、実は・・・・と言うことが多いようです。

皆さんも、毎年の定期検診と何年かおきの精密検査を受診されることをお勧めします。

結果が良ければ安心出来ますし、早期に見つかれば、完治が可能ですから。
早朝から、雪が降って居ます。

先週、シルバー人材の方々に整理していただいた庭にも、雪が積もりました。

一歩前へ by moppu-庭

我が家の庭は2段になっていて、上段の左端に梅の木が有ります。

先週、花が咲いたのですが、今日は雪の花が咲いています。



弟が闘病生活で使った薬・化学療法など。

外科的手術 
膵頭部切除、肝臓全摘・十二指腸・胃部分切除、肺一部切除、ステント留置 他

抗がん剤 
ジェムザール、TS-1、ベニトン 他 

化学療法その他 
活性NK細胞治療、放射線分割照射、重粒子線照射 フコイダン、アガリスク、温泉治療


ありとあらゆる手段を試したと思います。

私が行った手術やその後の抗がん剤治療とは、比べものにならない多さです。
手術後の弟は、私達から見れば良好な状態で推移しており、念願だった学校にも復帰し、母親の介護も再開しました。

私の所にも良く顔を出し、庭木の手入れなどを手伝ってくれていました。

しかし、手術から半年後の検査で肺と腹膜への転位が発見されました。

特に、腹膜への転位は深刻な状況でした。

当時、母親の状況が非常に悪かった弟は、新たな治療を開始することを躊躇していました。

この状況を見て、私は弟に休職を勧めました。

弟は母親の介護が不能になることを極度に嫌がっていたので、弟の入院先と交渉し、弟の母親を弟の病院へ転院させたうえで、弟を入院させ治療を受けさせました。

弟の希望があり、弟の母親が存命のうちは開腹等の方法を採らず、化学療法と放射線治療を併用する事となりました。

ただ、それまでの数年間の間に何種類もの化学療法や放射線をを試しており、選択肢は自ずから限定されていました。

それから、本格的な長い弟の苦しみが始まりました。

今思えば、あの時弟を無理矢理入院させたことが良かったのか、もっと楽にさせてやる方法があったのではないかと、思い悩むことがあります。

丁度、弟が弟の母親の手術を主張して、植物状態で9年余をすごさせたことを悔いているように・・・。


また、乱文を書いてしまいました。

生来まとまった文を書くのが苦手なのと、書いて良いかどうか迷う内容があり、文の歯切れが悪くなってしまっています。

続きは、又次回にします。

おやすみなさい。