一歩前へ by moppu -31ページ目

一歩前へ by moppu

年寄りの戯言です。お気に障る表現等があるかもしれません。その際は、平にご容赦くださいますよう、お願い申し上げます。

弟が亡くなり、6人いた父の子供達は、私一人を残すだけとなった。

長姉に二人の子供が居るが、どちらも女子で既に他家に嫁しており、後の者は一人も子供を持っておらず、父親の家の直系は私を最後に絶えることとなる。

弟は、先祖に関して大きな誇りを持っていた。

系図や多くの古文書や補任状・感状の類を大切に保管し、入院中も病室へ持ち込んでいた。

洗礼を受けた後も、旦那寺との関係を絶やさずに、仏式の法事を行い続けてきた。

それも此も、自らのルーツに誇りを持っていたからである。

弟は、どうすれば家系を絶やさずにいられるか、悩んでいたようである。

弟はもう少し生きて、徳柱との間に嗣子を残したかったであろうと思う。

この点が、弟にとって一番無念なことだったのではないかと思っている。


現在、私が父親の家の全てを継いだ形になっているが、此はあくまでも中継ぎであると思っている。

私は、父の子として生まれた同じ苗字を名乗ってはいるが、あくまでも傍系だと思っている。

弟のように、家にこだわることは出来ない。

何も持たずに生まれて来たのだから、何も持たずに帰っていかなければならない。そう思っている。
こんばんは、月曜日に雪が降り、火曜日は晴天、今日は風が強く、明日は雨。立春以後、天候の変化が激しくなってきました。

それでも、「三寒四温」の言葉通りに少しずつ気温は上がってきており、春の足音が近づいてきています。


昨年末から弟のことで手一杯だったのですが、またしても自分のことを考えなければならなくなってきたようです。

検査の日程が決まりましたが、数日入院しての検査になりました。

しっかり検査して、しっかり安心したいと思っています。

「もし・・」、があるとしても、それはそれ。弟のように「独り身の気楽さ」に感謝するとしましょう。

人生は、山あり谷あり、だから面白い。未来のことは何も和kらない、だから、希望と夢が持てる。

世の中は全て裏表、いんとうようとの差し向かい。下がるところまで下がれば、後は上がるしかない。

こんな言葉が、頭の中にあふれています。
再度精密検査を受けることになりました。

ここしばらく、マーカー値が徐々に上昇しており余り好ましくない状況なので、弟のこともあり再度の検査を受けることになりました。

今回は、以前の定期的なものと異なる方法での検査になり、一部保険の適用外になるようです。

弟が「検査が保険の適用外でになる。」とぼやいていました。

あの時は何をぼやいているのかと思っていたのですが、金額を聞いてその理由が分かりました。

まあ、安心への切符と思って諦めることにします。




本日、弟の四十九日を終えました。

参列者は、私、徳柱、康君、憲君夫妻、根岸の大伯父と息子の7人でした。

本来であれば、父親の時の様に親族縁者を呼び集めるべきなのでしょうが、本人の意向通りの人々のみで行いました。

法要の後、根岸の大伯父の知る私達の父の事や弟の思い出を話しながら、一時を過ごしました。

遺骨もなく、写真の前にチョコレートが供えられた不思議な四十九日でした。
今日は、弟の四十九日です。

弟も私もキリスト教徒なので、本来でしたら四十九日などはないのですが、父親と弟の母親、そして、弟の相方である徳柱が仏教徒でもあり、四十九日を行うことにしました。

キリスト教徒でありながらとの批判はあります。

しかし、私は、仏教に大きな憧憬を持っていた弟に相応しいと思っています。


弟は死に際して、自らを消すことを望みました。

自分についての記録や記憶を、一切消し去りたい、そう望んでいました。

何故そう望んだか、私のみ本人の口から何度か聞きました。

親友の康君も憲君も、いや徳柱でさえ聞かされていません。

その主旨は、弟の心の闇の部分として、誰にも口外しない約束となって居ます。

私はその弟の趣旨をくみ、本来ならば否とするであろう全献体の承認を承諾しました。

承諾した際、私は、弟と人の心について話しました。

人の心にある記憶を、恣意的に消すことは出来ないこと、弟の生きてきた歴程は消えないこと、我々の心の中に父の記憶があるように、弟の意志とは関係なく私の記憶に残ることを。

私は、人が生きてきた道程、それ自体が生きていると思っています。

生きて、その人を知っている人の心の中に住み続けると。


明日は、私と徳柱・康君・憲君で弟を偲びたいと思います。