この曲のレコーディングの時期に出会った
小生が今までの人生の中で、色々な人にお世話になったり、助力を頂いた恩人が沢山いらっしゃるが、これらの人々に恩返しを考える年齢に達していると、思いながら実行が伴わず、そんな自分に情けないと思う日々が続く今日この頃である。
だが、小生の心のなかで、この人程の恩人と思える人は少ない、渡米して、独立したての頃、当時、開発、間もない1979年 TAKAMINE パラスティツク(エレアコ)ギターのプロデュースと言う大役を仰せつかり、モニターアーティストを誰にしたら良いか思案の日々であった。
クロスビー、スティルス、ナッシュ、ヤングや、リッチーヘブンス、大御所ジョニーキヤッシュ、恐れ多くも、ボブディラン、など幾らでも頭に浮かぶのだが、コンタクトのコネが全く無いのだ。
当時、LAには沢山のレコードレーベルの本社が存在していたが、そこからのコネクションを作るべく、片っ端から尋ねて見た、アーティストが在籍するレコード会社にコネが無いか、あらゆる情報を探っていた。
そんな中で、ワーナーブラザース本社のエントランスの女性受付嬢と親しく言葉を交わすうちに、アーティストのレコーディングスケジュールリストを見せて貰った、その中に、小生の目を釘付けにする項目が有ったのである。Jun12、~28 HollWood SOUND STUDIO、AllDayTime
アーティスト名はRy Cooderとなっていた。おおおおお!あのRy Cooderだ、早速、彼女に、コンタクトを取れないかと尋ねたが、キリットした厳しい表情になり、(無理です!)と断られた。
当然と言えば当たり前の事である。しかしながら、どうしても諦めが付かない、取りあえず当たって砕けろ,そう思いイエローページでスタジオの住所を調べた。関西風に言えば(いてまえ)で,ギターを持ってスタジオに押しかける気で覚悟を決めた。遂に、12日がやって来た。あえて、車を近くの駐車場に止め、スタジオには徒歩で行くことにした。なぜなら、硬いセキュリーティーに阻まれる恐れが有ったからである。
ギターケース二本を両手に下げゲートへと向かった。ガードマンの視線を感じながら、そのままゲートを通過した何故か、ガードマンは両手にギターケースを提げた小生をローディーかと思ったみたいで、入れと手招きまでしてくれた。以外にも簡単に通過できた。拍子抜けしたのである。
エントランスに入り受付のガードマンにRy Cooderと伝えると,スタジオナンバーを教えてくれた。
スタジオの前に行くとレコーディング中を知らせるライトが点いていた。中にあの人が居ると思うと胸が高鳴った。30~40分くらいして、スタジオの扉が開いた。なんと、出てきたのは御本人であった。(Mr,Cooder、お待ちして居りました。実は新しく開発したギターを貴方に見て頂きたくて
参上しました。)そう告げると、(ほ~、どんなギターなの?)小生はTAKAMINEパラスティツクギターに付いて説明をした。(ちょっと、待ってね、トイレに行ってからゆっくり、聞かせてもてらうから)帰ってきてから彼は興味深々の眼差しでスタジオの中に手招きをして入れてくれた。
説明の間、彼は舐めるような眼差しで,ギターを見て、説明が終わると、(音を出してみて、良い?)そう言うとAMPに繋ぎ弾き始めた。みるみる表情がにこやかで、満足気に変わりだした。
そのまま、一時間位経った。彼が小生に(此れは君が作ったの?)(いいえ、そのPick Upのシステムの開発をしました。)そう告げると(君は天才だ!素晴らしいよ、こんなギターは初めて見たよ、ギターリストなら欲しくなるな~、今までこの様なギターはOvationしか無かったからね、でも此れは、全く違う、生音がそのまま出てくる、全く驚きだね~)絶賛に近いお言葉であった。
この後、エンドースメントがスムーズに進んだのは言うまでもない。
次回に続く