2011年は彼女と高尾山にいったり、鈴鹿のロードレースに参加したりした。
とてもアクティブな年だった。


そして、私にとって大きな出来事として会社の研修で3日間ドイツにきた。
あれから5年たち、今では赴任という形でドイツで生活を送っている。

 

ドイツでの研修


当時の私は「海外」という言葉に夢中になっていた。
きっかけは2010年末に行ったバックパッカー旅行である。
ツアーと違い、現地の人と同じ目線で街を見る。
斬新で衝撃的だった。

 

その後、会社でグローバル研修があり、応募。
選ばれた後は必死でTOEICを勉強した。


3ヶ月間でTOEICが800以上になれば褒美としてアメリカかヨーロッパにいける。
当初TOEICは560点。毎日TOEIC対策本をやった。
そして土日は大学の図書館で集中的に勉強した。
その間、つまんないであろう彼女は文句も言わずに「がんばって!」と応援してくれた。


そして順調に800を超え、会社はご褒美として欧州に1週間出張させてくれた。
とはいえ、訪問先のドイツではグループディスカッションとなり、相手の言っていることもさっぱりわからず、自分もまったく話すことができず、悔しい思いをした。


帰りにフランクフルトの空港で、スワロフスキーのネックレスを購入した。
帰国後、彼女は喜んで毎日つけてくれた。
今でもスワロフスキーを見ると当時のことを思い出す。

 

その後、今回の経験で更にグローバルに興味を持ち、趣味の旅行だけでなく、仕事でも強く関わりたいと思うようになった。
勉強を続け、TOEICは900を超えた。
しかし会社での米国との電話会議に出席しても相手が何を言っているのかわからない。
テスト勉強はできても実際に使える英語を取得できていない。
彼女は英会話学校を勧めてくれ、通うことにした。
そしてオンライン英会話もやることにした。
サボっていると彼女が怒ってきた。
その通りだ。私は彼女の貢献があって勉強をすることができている。
自分の時間だけを犠牲にしているのではないのだ。

 

その後3年たち、なんとか英語でコミュニケーションが取れるようになった私は海外へ赴任することとなった。
しかし単身赴任である。


自分のことを支えてくれた妻を日本に残し、一人でドイツにきた。
赴任が決まってから彼女は「一緒にいけるよね」「私はドイツで何しようかな」と日々楽しみにしていた。


しかし私は単身赴任であることを知っており、かといってそのことについて妻と話しあおうとしてこなかった。
彼女は夫婦でいけないことがわかると、会社をやめてついてくるとまで言ってくれた。
でも私はそれに対して、じゃあ具体的にこうしようなどという話し合いもすることもしなかった。


そして赴任日が決まり、もう後がない状態で妻に泣きながら訴えられて初めて会社に相談。しかし答えはNO。
日々泣き叫ぶ妻をなだめようにも、もう遅すぎた。
私が最初から話し合ってこなかったことがいけないのだ。
妻は私の成長を祈って、私の勉強を励ましてくれた。それなのに私は妻のことを考えなかった。

 

そうした私のおこないのせいで、妻を深く悲しませ、鬼にさせてしまった。
またあの頃に戻りたい。そのためには妻が私にしてくれた以上の努力をしていかないといけない。
でもまだそれができていない。

ずっと妻を悲しませたままだ。

 

続く。