たまたま六曜カレンダー回収騒動の記事を読む必要があって、どの記事も自分の考えとは違うかな、と思ったので、その時感じたことを、今更感もありますが、まとめました。
六曜は説明しなくても何となく概要はわかるかと思いますが、カレンダーとかによく記載していある、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口のことです。簡単に言うと、この日は運がいいとか悪いとかいうものらしく、由来は中国のようです。
六曜 wikipedia
六曜カレンダー回収騒動は、佐伯市など自治体が制作したカレンダーに六曜が記載されていることが問題となり、佐伯市では市長の政治判断により六曜が記載されたまま配布された、という顛末のお話です。
六曜差別を助長? カレンダー回収相次ぐ 大分合同新聞
佐伯市、見合わせ一転 「六曜」入り日記配布へ 大分合同新聞
六曜入り日記を配布へ 佐伯市長「私の政治的判断」 大分合同新聞
回収すべき理由は、「科学的に証明されない迷信を信じることは差別の助長につながる」ということだそうです。
で、この回収騒動についてのネットの反応は、
大分で「大安」「仏滅」入りカレンダー回収騒動 非科学的でも「載せて何が悪い」の声も
六曜は世俗だ
↑のようなカンジで、回収すべきとの考えには反対意見が多そうな印象。
個人的には、どの考えも自分とは違うのだか、強いて言えば、六曜は世俗だ、のブログが、考え方の適用だけは、同じかなと思いました。(結論は違うけど、、) ↓以下理由。
まず、六曜というものをどのように考えるかということから始めると、六曜は、現代科学に根拠がないことは確かであり、科学的根拠がないものをもって迷信ということもできるし、一種の宗教的「思想」ということも可能かと思う。
では、宗教といえるか?、となると、では宗教をどのように定義するか?ということも必要になってくる。
宗教というと、崇拝対象、教祖様、教義や経典、信者、宗教的儀式、宗教施設というものが揃っているものを思い浮かべる人もいると思う。しかし、宗教関連統計に関する資料集の66ページにある調査では、おみくじ等が宗教的行動とされているので、いろいろと定義について考え方はあると思うが、六曜については、宗教的な思想ということも可能だと思う。
では、そのような宗教的思想である六曜を国の機関(市役所)が公費による印刷に記載して住民に配布することは、適切なのだろうか?
なんだか結論が見えるような書き方ですが、憲法20条「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」に抵触する可能性があると思います。憲法20条は、一言でいうと政教分離を定めた条項であり、具体的な運用にはいろいろ考え方があるようですが、代表的なものは、津地鎮祭訴訟で示された目的効果説を基準とするものです。
津地鎮祭訴訟の判決では、憲法20条3項で禁止される国の機関による宗教行為を「当該行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為」と定義しています。
特定の宗教的思想を公費による印刷物に記載して配布する、という市の行為は、宗教に対する援助、助長、促進、になる可能性もあると思います。
ただ、六曜が「宗教」といえるほど宗教として確立しているか?というと断言するにはちょっと、うーん、と躊躇する部分もなくはないので、政教分離に違反する、というほどの違法性はないのかもしれません。しかし、六曜は特定の宗教的色彩を帯びた思想であることは確実であり、そのような特定の思想をわざわざ公費による印刷物に記載して配布するのは行政が特定思想を特別扱いするものであり、違法ではないけれども「不適切」であるといえるかもしれません。
この件については、ネットを見るといろいろな意見があるので、それについてもコメントしてみます。
「六曜差別を助長? カレンダー回収相次ぐ」の記事にある「自治体の多くは、六曜を科学的根拠のない迷信・因習の一つで差別意識につながる例と位置付けている」について考えてみます。
まず、「六曜が差別を助長する」という主張について、意味不明?という反応が多いかと思います。個人的には、六曜思想と差別については、具体的な因果関係はないかと思います。六曜の考え方に従い大安に結婚式を挙げた。で、それがどう差別に??と思うのです。
ただ、考え方として、六曜のような科学的根拠がない主張を行政が容認することは差別を容認することにつながる、というのも、差別というものが合理的な根拠がなく取り扱いが違う、というものであるとするなら、不合理なことは行政は認めないようにしてほしい、というのも行政の基本的な姿勢に対する注文として、考え方としてはあり得るかと思います。(念のため付け加えますと、異なるものに対して合理的に異なる対応をするのは、区別であって差別ではありません。差別論もいろいろあるとは思いますが、、、)
理由はともかく、特定の宗教的要素を持った六曜思想が嫌いな人もいるのは事実で、行政はそのような人についても配慮すべきであり、結論としては六曜を公費による印刷物に記載して配布するのは不適切だということになります。別の言い方をすれば、俺は六曜が嫌いなのに、なんでそれについても税金払わなくちゃいけないんだ?ということに配慮をすべきです。
ただ、六曜は根拠のない因習、と行政が公に言い切ってしまうことについては、それはそれで問題があるかと思います。その理由は、先ほど引用した目的効果説により禁止される「宗教に対する(中略)圧迫、干渉等になるような行為」や思想信条の自由を規定した憲法19条に抵触する可能性があると考えるからです。
六曜思想により、差別が直接具体的に生じるようであれば話は別ですが、そのようなことはない状況で、特定の思想について公に否定するというのは、特定の宗教思想に対する行政の圧迫となる可能性があると思います。
ネットが六曜カレンダー回収騒動に反応しているのは、六曜思想を行政が否定している、というような意味であると解釈しているというのが本当の理由だと思います。
「六曜差別を助長? カレンダー回収相次ぐ」の記事にも 「宇佐市は「使用してはいけないと直接的に指導しているわけではないが、公の配布物に使うときは気を付けるべきだ」とあります。
これを言い換えると、日本国憲ではは思想信条の自由や出版の自由が規定されているので、六曜に基づいて結婚しようが、民間会社が六曜をカレンダーに印刷しようが、民間で六曜思想を信じるのは自由、勝手であり、それについて行政は邪魔はしないけど、公費の印刷物(カレンダー)に記載して宣伝することもしないよ、というのが正しいのかと思います。
六曜騒動の記事を読んでいると、「行政」が六曜をカレンダーに載せるのが問題になっているのに、行政が六曜自体を否定しているのが問題のように取り扱われており、実際にそのように受け取れるような行政の認識もあるので、なんだか論理的にごちゃごちゃになっているな、という印象です。
あと、六曜は世俗だ、というブログですが、宗教を上記の崇拝対象、教祖、教義、、、というものが揃ったものであると定義するなら、六曜思想は恐らくそれを満たしていないので、まぁ、世俗といえるかもしれませんが、月齢のように潮位と関連があるとか実用性はないし、そういう意味ではやっぱり世俗ではないともいえると思います。ただ、目的効果説を持ち出したのは、自分と同じですし、その他の主張も、なるほど、と思いました。
佐伯市では、結局は六曜記載のカレンダーを配布しました。この行為の正当性ですが、配布の際に、おわびとおことわりの文書を添えていることを考慮すると、六曜に対する行政の態度としては、プラスマイナスゼロになると考えることも可能ではあるなと思いました。