NATROM氏の強みと限界 | ブログ

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NATOROMの日記というブログがあって、最近は本も出版したりして、ブログというカテゴリーではかなり有名な方だ。

この方は職業が内科医ということもあってか、医療系、健康系の文章が中心だ。

自分の独断と偏見だが、NATROM氏のブログがウケる理由は2つあるのかなと思う。

1つめは、内科医であるということだ。やっぱり医者という肩書きは大きいと思う。
心理学的には、ハロー効果が働いている要素もあるのかな、と思う。大手のサイトでコメントが紹介されることもあるのは、医師という資格があってこその結果だ。

で、2つめだが、内容が正統的なものであることだ。

インターネットには、種々雑多な考えがあふれているが(このブログもその種の雑音の一つだ)、その中でNATOROM氏のブログは、「正統的」な見方、考え方を提示することにその存在価値を見いだしている要素もあると思う。

実際にネットには、言論の自由というか、ジャングル状態である結果、いろいろなトンデモも存在するので、例えば、工学博士である武田教授の喫煙擁護論への反論を見ると、なるほどね、と思う。
タバコを吸うとガンになる可能性は3分の1以下になる!」。何が何だか分からないよ!
「喫煙率が下がると肺がん死が増える」のはなぜか?

この種のトンデモを斬る文章に、NATROM氏のブログの価値があるのかな、思う。

その一方で、NATOROM氏にはその基本的な思考法ゆえの限界がある。

NATROM氏の基本的な考え方を揶揄する感じで表現すると、

「だって、それは教科書に書いてないからそれは嘘だ」

という思考だ。

「正統的」な考えをよりどころにして発言するというのは、自分の発言に後光をつけ、後でバッシングを回避するには、最適な方法の一つであると思う。(お役所だと、よくわかってない人間に限って「法律の範囲内で~」とか言い出したり、通達やマニュアルの文言をそのまま棒読み発言をしたりする。わかってないから、そういっとけば無難だと思っているのだろう、、)

で、確かにたいていの場合は、それで正しい。

正統とされる考えには、やはりそれなりの根拠や経過があるからだ。

ただし、例外もある。

なぜ、例外が存在するかというと、人類の科学自体が、発達中で完全ではないから。

科学の発達により解明されたことの範囲内では、人類は真実とトンデモを区別できる。

人類の科学が解明していないことについては、当然、真実とトンデモを区別できない。

解明されていない真実については、人類の科学が解明していないからといって、この現実世界にその解明されていない真実が存在しないということではない。

しかし、その時点では科学的な説明はない。

そのような未知の現象に、「だって、それは教科書に書いてないからそれは嘘だ」的思考が遭遇すると、どうなるか?

じゃぁ、それは、トンデモ! という結論になる。

それが、NATOROM氏の思考の限界かな、と思う。

実際に、NATOROM氏でなくても、

現在の医学水準では説明できない、→ よし! それは気のせいだ

というのは、よくあることだと思う。

しかし、気のせい という診断は、その時点の医学水準で説明がつくことを消去法で除外していて、残ってしまった場合につく病名だ。

全く原因がないのに症状を訴えるのと、実際に原因があるのでは、当然に何かが実際に違うはずだ。

その、気のせいというのを、科学的な証拠をもって立証したことはない。

医学の進歩は、ある意味、人類の科学技術水準の進歩ともいえて、病気の存在や原因を人間の五感に知覚できるように変換する装置技術の発展ともいえるのだが、脳の働きを科学的に説明するのはまだ不可能であるから、仕方ないけれど。。。

気のせい、と判断をして、実際にそれが気のせいであった場合はもちろん問題がないが、現代科学の及ばない領域の真実であった場合に、「トンデモ」「気のせい」と判断するのは、科学が発達していなかった時に、「祟りだ~」といっていたのと同じ性質の行為だ。