おはようございます、澤村月歩です。

 

 

 





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知らない土地に嫁いで、周りに1人も知り合いがいない状態で娘を産み、産後舅姑とのいざこざが絡んで、産後鬱になりました。毎日毎日泣いてばかりいましたね。鬱になると 感情のコントロールが出来ず、訳もなく悲しくなるんです。

 

 

 

私の子育て



私の子育て②

 

 

 

1歳過ぎるとママ友を作ろうと色んな公園に行きました。

 

 

 

団地の公園に遠征して、娘のために友達を作らなければと躍起になっていました。

 

 

 

 

そこで友達になった車の免許を持っていないママ友に雨の日の送り迎えや、◯曜日は幼稚園に乗せて行って〜などと頼まれてました。

 

 

 

足代わりに使われても、今の私を知る人からは信じられないと言われそうですが、断れずに悩んでたのです。娘のためにママ友ともめるわけにはいかない、、、と思ってたんです。

 

 

 

その時は、夫に自分を悪者にしていいからと言われ、『夫に車に乗せるなと言われたから』、と言って断って、やっとその人から解放されたのです。

 

 

 

その後幼稚園に行くようになると、まるで学生時代のように私を独占したがるママ友と出会い、その人が澤村さんの1番の友達は私だから、、と周りにいい回るようになります。

 

 

 

すごい執着されて、四六時中一緒にいて、私はとてもしんどかったんです。

 

 

 

私が耐えきれず、結局その人とは喧嘩別れのようになってしまい、今でも後味が悪い思い出になってしまいました。

 

 

 

息子が交通事故にあった話は以前書きましたが、実は息子をひいた車を運転していたのは、近所のママ友だったんです。

 

 

 

やはり、そのあとは気まずくなり疎遠になり、彼女も1年ほどで引越していきました。

 

 

 

などなど、個性の強いママ友もいましたが、良い友達にもたくさんめぐり逢いました。

 

 

 

17年以上の付き合いになる友達もたくさんいて、友達は本当に私の財産だと思っています。

 

 

 

息子がサッカーのクラブチームに入っていたので、クラブチームのママ友とのお付き合いも本当に色々ありましたが、そんな子供とのしがらみがなくなると色んなことが見えてきます。

 

 

 

クラブチームのママには序列があり、それはまさに子どもの実力での序列なんですね。

 

 

 

それはそれで、親子でものすごいプレッシャーを感じる日々でした。

 

 

 

今となれば 全ての出会いには学びがあり、必然だったのだなぁ思えますが、その時その時で、必死だったし、夢中でした。

 

 

 

人間関係で本当に悩むことは多かったです。

 

 

 

私はその頃は、ケーキ屋さんでパートをしつつ、子育てしている毎日で、そんなに自分に不満はないと思ってたんです。

 

 

 

幸せを実感する日々かと言われると、そうでもないけど、、、でも自分に何ができるわけでもないし、未来にワクワクすることなんてないし、ただ淡々と毎日を過ごして毎日晩御飯のことや子どものことだけ考える日々でした。自分の未来がパートしてただ歳をとっていく以上のことが起こるとは思えなかったんです。

 

 

 

自分の人生を改めて考えることなどなかったし、人生ってこんなもんだと思っていました。

 

 

 

10代の頃、自分はなんのために生まれてきたのだろう、、と考えていた私の問いの答えは、私の子どものたちに出会うために生まれてきた、でした。

 

 

 

だから、私の今世の生まれてきた目的は果たしたのです。つまりはその時は余生を過ごしているということです。

 

 

 

ただ何かわからないストレスで両手が痒くて火傷の跡のようになっていました。

 

 

 

でも、自分のストレスがどこにあるのかも、全く思い当たらなくて、全ての感覚が麻痺している状態だったのです。

 

 

 

続きます。