こんにちは、澤村月歩です。



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息子が2歳8ヶ月の時にワンボックスカーに轢かれたんですが、場所は家の真ん前の道路でした。

 

 

 

私が鍵を開けてる間の出来事でした。

 

 

 

色々細かいこと思い出して書くのは、今でも辛いですね。

 

 

 

普段は忘れて心の奥底にしまってるんです。

 

 

 

だから傷も痛みも感じないんです。

 

 

 

こうやって蓋を開けてみると、傷はやっぱりまだあって癒えたと思っていてもそこに触れるとチクチクっと痛みます。

 

 


 

息子の体の太ももから肩にかけて斜めにタイヤの跡が付いていました。

 

 


 

救急車の中で「痛い」と泣く息子に「泣いたら余計痛くなるよ。ママが絶対助けてあげるからね、絶対大丈夫だからね、ずっと付いてるからね」と手を握って励まし続け、息子は心配する私に微笑もうとしていました。

 

 

 

 

病院で検査を受けると息も絶え絶えに痛がっているけれど奇跡的にどこも骨折してなくて、内臓の破裂もありませんでした。

 

 

 

 

ただ、レントゲンにもCTにも映らない血管や内臓の破れがあると、死に至る危険があるため2日は目が離せないと言われました。

 


 

 

そこから2日間あまり覚えていません。

 

 


 

ただただ泣きながら、息子のそばで息をしているか確認し続け、この子が死んだら一緒に死のう、絶対助かる大丈夫、この二つが頭の中をグルグルしていました。

 

  


 

お陰様で、息子は助かり今も元気に過ごしています。

 

 

 

サッカー部にも入り、普通に学生生活を謳歌しています。

 

 

 

 

この時に私は

 

 

 

「こどもが生きているだけでいい」

 

 

 

 

「生きていることが奇跡なんだ」

 

 

 

 

「生きるということは奇跡の連続なんだ」

 

 

 

 

 

ということが骨身にしみたのです。

 

 

 

 

けれど普通に暮らしていると、ついつい忘れてしまいます。

 

 

 

 

わかっているけど、、、みたいな、、、

 

 

 

 

でも、生きていることを感謝することこそが全ての基本であり 始まりだと思います。

 

 

 

 

コウノドリを見て思い出したことにも書いたように、無事に産まれてくることも奇跡の連続なんです。

 

 

 

 

しばらくして退院して家に戻ると、待っていた娘の耳が聞こえなくなっていました。

 

 

 

急に私と弟がいなくなり、祖父母の家に預けられ、義父母は厳しい人達なので ストレスからくるものでした。

 

 

 

会ってして30分ほどで私は異変に気がついて、直ぐに病院へ行くと、周りの音が聞こえず、自分の声だけが耳の中で大きな音として聞こえている状態だと言われました。

 

 

 

幸い1週間の治療で完治したので、本当にホッとしました。

 

 

 

子どもも大人もですが、心と身体は繋がっているんだと、実感しました。

 

 

 

この二つの出来事は私の人生の最も大きな出来事で、ここで私は変わりました。

 

 

 

直ぐに私が別人のようになれた訳ではありませんが、このことをきっかけに徐々に物事に対する捉え方、考え方、子どもに対しての考え方がそれまでと違う方向、、、というか、道から外れたのを修正していけたのだと思います。

 

 

 

それまでの私は自分の理想や自分の思いと子どもの為というものを区別できてなかったんです。

 

 

 

自分の思いは間違ってないと思い込んでたし、それを子どもに押し付けているとかも考えたこともなかったんです。

 

 

 

でも生きているだけでいいと思えた時、それは子どもの意思なのか、子どもにとって幸せなことなのか、子どものためにやらなければいけないことなのか、私の望みなのか、分けて考えれるようになったんです。

 

 

 

そうすると、思いの外、こうしなければならない、〜ねばいけないというようなものは、私自身の思い込みや望みであることの方が多いことに気がついたんです。

 

 

 

それがわかると、子育てはすごくシンプルで楽になります。

 

 

 

なにが起こっても、何があっても、人にどう思われても、私が責任とればいいし、何を言われても動じる必要はないのです。

 

 

 

なぜなら、私にとって子どもが生きて幸せにいてくれる以上に大切なものはないということに気がついたからです。

 

 

 

世間や友人や親戚に何を言われても、世間より友人より、親戚より子どもたちの方が比べ物にならないほど大切なのです。

 

 

 

大切なものさえ守れれば、後は何とでもなるのです。

 

 

 

心の傷は、いつも子どもとの繰り返される平穏な日々が癒してくれます。

 

 

 

私が外で傷ついて家に帰ったら、子どもたちが私の傷を癒してくれます。

 

 

 

私がそうやって強くなっていくように、子どもたちが傷ついて帰ってきたら私や家族が傷を癒すのです。

 

 

 

そうして子どもたちも強くなっていくのです

 

 

 

家族ってそうやって、どんなに子どもが小さくたって、支えあって暮らしていくのです。

 

 

 

そこにいつも幸せがあり、幸せは探さなくても、求めなくてもそこにあるのです。

 

 

 

私はそうやって子育てしてきたのです。