空と水
水面が 反射する景色を
映しだす
そんな静かな状態
それをイメージすることで
ピタリと その時点での
ニュートラルな状態は
やってくる
運命は決まっているが 決まっていない
紙の表裏どちらかに運命の図は描かれてはいるが
裏を反せば白紙の状態という
この 二つを考えると
水面に映る景色を裏から見ると
多分ハッキリと見えないのかもしれない
空間と水中の差により
その水面の映りは異なる
私達の世界が水側であるとしたら
目に見えない世界が空側となる
老子が伝える「水」の教え
このことと照らし合わせると
なにかが見えてきそうだ
水面に映る景色というものは
はっきりとした認識(悟)とすると
空間のように
透明度が上がれば
「悟」ということなのだが
究極はその水側の水を取り払うことと考えると
それは何を意味するのだろう・・・
水=固体=物質世界=目に見えるもの
空=目に見えるものを取り払うこと
ということが考えられる
運命は決まっているが
人間の「もの」に対する執着が
白紙へと 「見えなく」させるのかもしれない
だが それは「自由」ということでもある
瞳を閉じて瞑想、座禅をすることは
水側から空側へ渡れる橋なのかもしれない
映しだす
そんな静かな状態
それをイメージすることで
ピタリと その時点での
ニュートラルな状態は
やってくる
運命は決まっているが 決まっていない
紙の表裏どちらかに運命の図は描かれてはいるが
裏を反せば白紙の状態という
この 二つを考えると
水面に映る景色を裏から見ると
多分ハッキリと見えないのかもしれない
空間と水中の差により
その水面の映りは異なる
私達の世界が水側であるとしたら
目に見えない世界が空側となる
老子が伝える「水」の教え
このことと照らし合わせると
なにかが見えてきそうだ
水面に映る景色というものは
はっきりとした認識(悟)とすると
空間のように
透明度が上がれば
「悟」ということなのだが
究極はその水側の水を取り払うことと考えると
それは何を意味するのだろう・・・
水=固体=物質世界=目に見えるもの
空=目に見えるものを取り払うこと
ということが考えられる
運命は決まっているが
人間の「もの」に対する執着が
白紙へと 「見えなく」させるのかもしれない
だが それは「自由」ということでもある
瞳を閉じて瞑想、座禅をすることは
水側から空側へ渡れる橋なのかもしれない