今年の秋は
とても足がはやいです
いつのまにか
いつも足元にいた
もふもふ毛布に触れるわずかな感触に
あんしんとシアワセを感じております。
ブログのタイトルをすこし変えました
”わたし” から ”私” に。
”日常” から ”日々” に。
自分とこれまで距離のちかかった”わたし”から
距離感ができ、
自分ときりはなした感覚 "私” の方が
しっくりきます。
”日常” から "日々のコト” にしたのは、
毎日が常にあたりまえにあるのではない、
ということを感じ、
そして
日々あってくれることを
たいせつにしたい、という思いからです。
今在ってくれる日々は
過去つよく憧れた現れでした。
自分が何者かわからず、外にばかり目が向いていました
いま思いだすある店員さんとの会話、
「今朝、お部屋のお掃除してきたから
汗かいてしまいました」
おなじように、自分もいつか一人暮らしをして
そんなこと言ってみたい!
お仕事・・
一人で暮らせるくらいのお給料のあるお仕事に・・
何者かわからなかった自分を
いま 在ってくれる日々のおかげでつかめてきました
日々のお風呂の温度や、1週間のゴミの量、
身体の変化により欲する食べ物、
自分のお世話をしたかったのだな、と
そうすることで
わからなくて悶々としてがむしゃらになるしかなかった
過去の自分が、すごく願っていた
自分がどういう人なのか、を
年月をかけてわかってきました。
秋のはじまりのころ、
自分のなかで おおきくうごめく動きを感じ、
それは
生、死、を行ったりきたりしながら
どちらにもいけず
でも、そこから別の自分の見方をもつことができました。
”私” という意識は
いつか、ポンっといつのまにか在り
無 から 在 に。
そうかんがえると、
いまここに感じるすべてが
豊かなこと、だとおもいました。
耳をつんざく赤ちゃんの泣き声、
道路をせわしく走るトラックの音、
秋虫たちの奏でる音、
息をしている、水道のつめたさを感じる、
結い髪のうまくいった姿、
たくさんの色をぶつけて遊ぶ着物、
もくもく自分をとりまくけむり、
汗ばむ気温をかんじてる身体
すっかり身をゆだねる秋風のここちよさ、
実は 手のひらと同じサイズだときづいた
”私”の足ゆびたちがしめす方へ
むかう場所は
すばらしいところ、だとおもっています。
自分をみちびく羅針盤は
足ゆびたちにおまかせ。
そして
自分のおもうままにおまかせ。
ある人が言っていた
「わたしは世界一しあわせ」を
きづいたときに、そうおもうようにしています。
なにが在るからしあわせ、というよりも
どんな状況でも なにもなくても、
いつでも
「私今世界一しあわせ」で在ることをかさねていきたい
とおもっています。