今でもこの話をするとき、胸がきゅっとする

 

昭和の初め頃の今より世の中の穏やかだった時代

南極観測隊に出かけた夫を待つ奥さんの話です

一度南極に出かければ、外界から隔絶され丸々一年は音信不通になる

当時は手紙も送ることもできなかった

それは無事かどうかさえ確認できない状況だったのだろう

毎日毎日奥さんは夫のことを思い、

いろんな思いが駆け巡っていたことは想像に難くない

南極基地への唯一の通信の手段はモールス電信機

電報という形にすればモールス信号で打つことが出来ると知った

ただ当時の電報はひどく高額だった

奥さんには夫に話したいことや伝えたいことは山ほどあっただろう

でもこの奥さんはすべての思いをたったの3文字に込めたのだ

 

 

 

「あ・な・た」

 

 

私はこの話を聞いたとき、日本語の持つ奥深さと夫婦の愛情の奥深さを見た気がした

お互いの愛情と募る思いを信じられる夫婦なら

「あなた」の一言ですべては伝わるのだ

あなた元気ですか

あなた愛しています

あなたをお慕いしています

いつもあなたのことを思って生きていますよ

 

そんなすべての感情を含んでこの「あなた」は存在する

英語のYOUとは全然意味も深さも違うのだ

私はこの(あなた)の一言の中に妻が夫を慕う気持ちや

日本女性特有の奥ゆかしい健気な姿勢を感じて、思わずきゅっとしてしまった

たった3文字で心が通い合えるこの日本って国に生まれてよかったとさえ思える

 

「お前」「あなた」と呼び合うことが

女性蔑視だとか男女格差を助長しているなんて意見もあるが

どういう呼び方がいいかなんて夫婦で決めればいいことで

他人や世間様がとやかく言う事ではない

お前やあなたの言葉の中に慈しみや尊敬や愛情を感じられない感性のほうが問題だ

そういうニュアンスもくみ取れない殺伐とした人間関係は嫌だ

差別や蔑視の言葉として日常語を見ることで、

より狭苦しい偏狭な社会になってゆくことのほうが怖いのである