一般の人にはあんまり興味のない話なんだけど

朝倉ミクルと平本連のトラッシュトークが問題になっている

(※トラッシュトークとは格闘技の試合前の煽り合い)

最近の格闘家は格闘技界を盛り上げるためにSNS上でこれをやるのだが

これは一歩間違えば、誹謗中傷、名誉棄損の可能性を含んでいる

平本連のSNSがまさにそれで、3流週刊誌の暴露記事状態になっている

そこで朝倉ミクルはその状態にお灸をすえるために裁判に訴えると宣言した

 

 

私が一番に問題にしたいのはここからで、

周りの格闘技関係者の声の多くが、

朝倉ミクルの行動が格闘家らしくなく

格闘家なら拳でけりをつけろ的な発言をしている

 

ぁんで?

 

いがみ合っているんだから、拳で決着をつける?

いつの時代の話なの

格闘技の試合ってそういう場所じゃないでしょう

法律違反や名誉棄損などは法廷で人として裁かれるべき問題でしょう

 

格闘家には格闘家の決着の仕方があると言いたいんだろうけど

誰でも格闘家である前に人間でしょう

人間が犯した罪を問うているのに

それを試合で決着をつけろとは時代錯誤も甚だしい

 

 

 

考えてみれば、

世の中はこういう論理のすり替えや感情論で溢れている

みんながみんなそういうものに流されやすいのだが

男らしいとか、女らしいとか、格闘家らしいとか

らしいでモノを考えるべきではない

らしいなんて言葉には、どこにも確固たる定義も根拠もない

ただの論理のすり替え道具に使われている

 

 

 

我々は人間らしいのではなく、人間なのだ

生きているらしいのではなく、確実に生きているのだ

人生でどうすべきかの判断材料はすべてこれが大元になる

男だからこうすべきだとか、女だからこうあるべきだとか

まわりのそんな曖昧な言葉に乗って自分を偽ってはいけない

あなたはあなたの思うように生きて行けばよい

世の中のウソや偏見に騙されて

らしくしようなんて夢にも思うべきではない

 

 

らしくなっていったいどうしようというのだ(笑)

我々は日々の生活の中で偽物の自分作りをしているわけではない

一生をかけて本当の自分探しの旅をしているのだ

自分らしくなるのじゃなくて、本当の自分を見つけるのだ