文系の天才と言われた男(ワタス)でも

解釈に困る意味不明な日本語がある

 

皆さんも普段使っているのだが

いざ解釈を考えてみると気になってしょうがなくなるはずだ

 

個数を数えるとき いっこにこですよね

いちこではなく、小さな  が入る

よんこ は しこ とは言わない

 

これが本数になると いっぽんにほん から始まり

ほんぽんになったりぼんになったりもする

付属のそのものまでもが変化するのだ

 

日にちになれば、もっと難解(笑)

1日はついたち、2日はふつか

8日がようかで20日がはつか

まったくもって意味不明である

 

この難解さを理屈で憶えてゆくのは無理があり

日本人同士の日常会話で自然に身に着けてゆくことになる

こういう事って日本語では日常ちゃめしごとである(笑)

 

そうそう、こういうちゃめしごとも音読み訓読みも頭で判断してたら

日常会話がしゃべれなくなる

さはんじと言われてピンと来るはずもないのだが

漢字で茶飯事と表されて初めて意味が分かる

とにかくニュアンスに慣れる以外ないのである

 

フランス人ハーフのワタスも

この怖い日本語はどうにか身につけたので

この国で暮らすことが出来てまーす 笑い泣きおいで

 

それでも私が未だに迷うことがある笑い泣き

 

例えば

私の好きなお母さんの料理

 

これって好きなのは、

お母さんなの?

料理のほうなの?

こういう曖昧さって日本語にはたくさんあります

それで日本人同士そこんところを問い質す事ってあんまりしない

曖昧なことは曖昧なままのほうがいいっていう日本文化だ

 

でも、モノや話の内容によれば、それは喧嘩になると思う

 

『あんた私の料理が好きって言ったじゃない!』

『絶対言ってない!』

 

そんなこと言った言ってない で揉めるよね(笑)

 

 

この微妙なニュアンスを日本人同士でも揉めるのに

外人を前にするとさらに大変なことになる

彼らからすれば Noと言えない日本人 はトラブルメーカーでしかない

 

国際化社会と言われてもう何年になりますぅ(笑)

 

 

 

だからと言って、Noと言わない習慣に

曖昧さや責任の回避という悪しきモノだけがあるわけじゃない

そこには相手に対する思いやりやリスペクトが含まれていたりもする

その精神は決して低いものではない

これらを考えてみると

日本文化の純粋性と世界に通じる事についての互換性が必要となる

それで、日本人の中にある共通認識が

国際社会と大きく違っている No についての私見を述べます

 

 

No と言わない日本文化は高い精神性の表われである

ただし相手の間違いや悪い所を指摘しないで

曖昧に済ます風習は改めるべきだと思います

人に対する寛容さ、優しさとはそんなところにはない

嫌なら嫌、反対なら反対 と、

ちゃんと意見を言うことでしか真の人間関係は築けない

相手を傷つけないとか批判しないとかは、時と場合による

それを間違うと平和主義的臆病者になるだけだ

 

外人が指摘しているのはその部分なのだ

 

相手を思いやり、リスペクトする平和主義は大いに結構である

だが、それを大事にするあまり、

言いたいことも言えない臆病者に成り下がる事がダメなのである

Noと言わないことで築かれるものは平和ではない

あなたが辛抱することでは何も解決しない

自分を主張し、他人の主張に耳を貸すことで平和が生まれる

これ世界の常識

 

日本人は無料で無尽蔵に使えるものの例えを

(湯水のごとく)というが、今や湯水も有料で限界もある

ましてや、平和が黙って大人しくしていれば

手に入ると思っているのなら時代錯誤も甚だしい

あなたたちは自衛隊がなくなれば、

戦争に巻き込まれないと本気で思っているんだろうか

 

 

 

 

自己主張は大事です

Noがちゃんと言える日本人になりましょうね(^▽^)/