韓国の整形美人をいいと思ったことは無いんだけど

最近の日本の女の子も同じような化粧をする

 

古来より理想の美人顔ってあって

それをみんなが追い求めているという事なんだろう

昔も今も美人の基準ってあんまり変わってないらしくて

美人と言えばああいう顔になるのだろう

 

でも、思うんですよね

そもそも自分の顔が美人である必要ってあるのかな?

みんながみんな女優顔って飽きない?

 

誰だってできる事なら美人に生まれてチヤホヤされたい

でも本当にチヤホヤされるのって美人であることじゃないよね

 

昔はおかめ顔が美人の基準だったって

見識者はいうけどあれは間違いです

そんな馬鹿な話はありません

人間の美の基準がそんなに変わるわけがない

今も昔もおかめ顔ってブスの代名詞

昔実在したオカメさんって

ブスでも愛嬌があって可愛らしい性格だったから

男たちにチヤホヤされたらしいよ

 

じゃ韓国美人で愛嬌があって可愛らしかったら

もっといいじゃんって思うかもしれないけど

それはちょっと違う

 

愛嬌や可愛らしさが似合う顔って決まっている

そこが外見も含めて人間の個性になる部分なのです

持って生まれた外見と自分の内面が微妙にリンクしていることを知れば

簡単に顔を変える事の怖さが分かる

 

よっぽどの美形でない限り

誰でも自分の顔に満足できることって少ないと思う

そんなことに不満を持ったり

理想を追い求めることより

そういう外見をどう受け入れてゆくかが人生の勝負だと思っている

 

この年齢まで生きて来て思うことがある

顔は自分の人生が作るもんだ

どう生きたかで顔は決まってくる

狡く生きた奴は,狡い顔をしているし

優しい心で生きた人は優しい顔をしている

それに比べりゃ

美形かどうかなんて、それほど大した問題じゃない

 

 

そんなことに振り回される人生って何だろう

物事の判断基準や人間の判断基準がそこにあるとしたら

なんてつまらない世の中だろう

本当に美しいものは、人の心の中にあるのに

誰もそれに拘らない、それを競わない

外形美だけでいうのなら

世界には人間より美しい生きものはいくらでもいる

人間は毛のぬけた裸の猿なのだ

そのもっとも醜い猿が

世界で最も高等な魂を持った生き物だということをご存じだろうか

 

 

何故そこに拘らないのか、私は不思議でならない