外見は汚れてても、心が綺麗なら恥ずかしくはない

もちろん意味は分かってますよ

でも、ワタクシは偏屈ですからね(笑)

「故郷に錦を飾る」って言葉もある

その時にボロを着ててもいいんですかぁ ってなっちゃう

そしたら『あの方はあんなボロボロの身なりなのに立派になられた』

って故郷の人々が褒めてくれると思う?

外見で人を判断するなっていうけど、外見も判断材料ではある

ここに大きな勘違いがあって、中身と外見を分けて考えている事なんだ

外見を良く見せたいのであれば、それに見合うぐらいの中身が必要だし

中身を充実させたいなら、それに見合う外見を手に入れる必要もある

汚れた仕事をするのにお洒落な服装もおかしいし、

会社の社長がボロ服を着てるのもおかしい

人はその環境にあった服装を心掛けるべきなのだ

もちろん、一般市民が数百万するブランドバックを持っているのは論外

第一、それに見合うだけの生活の中身もない

虚飾の極みみたいで、アホウにしか見えない

 

ボロを着てても、心は卑屈になっちゃいけないって大事な事だけど

その前に心が卑屈になるような服装を控えるべきだと思う

みんな外見と心は別物みたいに扱うけど

私は心の綺麗な醜い外見の人は見たことないし、

外見が整ってて心の歪んだ人も見た事がない

たぶんそれを見ている人の目が曇っているだけだと思う

変な先入観や価値観を捨てれば、そういう齟齬は生まれないと思う

怖い顔の人が案外優しいいい人だったなんて話はよく聞くけど

優しい人はその優しい心が顔のどこかに表れている

怖いというイメージを先入観で持つから、それを気づけないだけなのだ

 

いかに虚飾に塗れようと、

人は外観に見合った中身しか持ち合わせてはいない

外観がその人の中身を作ってゆくし

その人の中身が外観にあらわれてくるものだと私は思っている

 

ここで今日の名言を一句

ボロを着てたら、心はニシキヘビ