副題:金閣寺、豊饒の海から、市ヶ谷事件現場まで
著者:宮崎正弘
発行:並木書房 / 2006年11月 / 単行本
ジャンル:紀行文、三島由紀夫
稀代の中国ウオッチャーとして著名な宮崎氏ですが、この作品は氏が三島由紀夫をテーマに発刊した三部作、『三島由紀夫”以後”』(並木書房)『三島由紀夫はなぜ日本回帰したのか』(清流出版)に続く完結作です。
[目次]
プロローグ 三島由紀夫の現場に立つ
第一部 海外の舞台
第一章 ギリシア
第二章 バチカン
第三章 パリ
第四章 ニューヨーク
第五章 ニューオリンズ
第六章 ベナレス
第七章 バンコックの暁の寺
第八章 『癩王のテラス』の舞台は
第九章 ふたたびインドへ
第二部 国内の舞台へ
第十章 『豊饒の海』の現場を探る旅
第十一章 その前夜と事件現場
補遺 『ローマ憂国忌』
エピローグ 天皇伝統と三島文学
共感した箇所のご紹介です。
「感受性の薄い所為なのか、私も現場に十分ほど突っ立って、しかし取り立てての「パセティックな」感動はついに起きなかった。たとえば伊勢神宮や神武天皇陵や吉野宮で感じる、あの名状しがたい躍動的な感動が、ギリシアの遺跡からはなにほども私には伝わって来ないのだった。
日本の美とはあまりにもかけ離れている。」(24頁)
「ムッソリーニは会津白虎隊に感激し、顕彰碑を会津若松市に寄贈したほどだった。ローマ時代の政治家カトウは切腹している。
現代のイタリアの保守回帰は、そのローマのいにしえの価値観に還れ、と呼びかけている思想運動でもあり、疑似のヒーローとして三島が必要ということかも知れない。」(47頁)
「明に冊封した足利義満は「日本国王」の称号中国の皇帝から喜んで受け、替わりに勘合貿易の利益を独占、今日の媚中派の嚆矢となったからである。」(164頁)
→なるほど、現在の政権与党幹事長殿の”政治モデル”というのは足利義満ということですね。
「歴史教科書に墨を塗らせ、大東亜戦争を太平洋戦争と言い換えさせた一連の占領行政の文脈の中で、「検閲」が罷り通り、あらゆる歴史的に正しい書籍は同じ扱いを受けた。「忠臣蔵」も楠木正成もヤマトタケルも東郷平八郎も教科書から消えていった。その後、日本では長い間、武士道精神の滅却とともに『葉隠』も省みられなかった。
戦争中、若い兵士らは、この『葉隠』を背嚢に入れて戦地へ赴いた。」(179頁)
「(その結果、)三島は「戦争中から戦後にかけて一貫する自分の最後のよりどころは」と考えてみて、それは『資本論』でも『教育勅語』でもなく、『葉隠』であったのだと述懐するに至る。
『葉隠』の思想を集約したものは四請願である。
一、武士道においておくれとり申すまじきこと
一、主君の御用にたつべきこと
一、親に孝行つかまつるべきこと
一、大慈悲をおこし、人のためになるべく候こと」(180頁)
「三島由紀夫は文学活動にのみならず、晩年の行動と自決を通して、日本におけるルネッサンスを企てたのではないか。文学芸術思想の側面から事件を勘案すれば、「古今和歌集へ還ろう」というメッセージではないのかと最近しきりに考える。」(193頁)
「(ところが)経済繁栄に酔いしれ、平和のぬるま湯につかったまがまがしき時代にあって、平均的日本人といえば、結婚式をハワイかヨーロッパのキリスト教会で挙げる一方で、正月には一億三千万国民のうちの、実に八千万人が神社に初詣に繰り出し、しかも仏教儀式による葬儀で生涯を閉じる。
外国からはいかにも日本人の宗教観は矛盾に満ちたものと見えるであろう。」(194頁)
「天皇は祭祀王であり、「民の父母」である、という位置付けは、林房雄、村松剛らもさかんに言っていた。」(199頁)
→政権与党幹事長殿によれば天皇陛下の存在とは、我の意の通りに行動させることの可能な一公務員、一官僚と同じ扱いなのでしょうか。
「(ともかく)天皇を中心とした文化体型こそが日本にとって最も大事な伝統的価値であるにもかかわらず、明治以降、近代化の道を突っ走った日本の近代百年の文学は個人を中心とするレベルに逸してしまった。」(199頁)
三島由紀夫という人物は、知れば知るほど研究しても研究し尽くせないほど、魅力に溢れた人物であり、この国の行方を心の底から憂いた、最後の武士(もののふ)だったのかもしれません。
三島由紀夫の現場/宮崎 正弘

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