遠近法で描く中国 -2nd Season- -17ページ目

遠近法で描く中国 -2nd Season-

片手にピストル 心に花束 唇に火の酒 背中に人生を。 

著者:塩野武士
発行:講談社 / 2011年10月 / 単行本
ジャンル:小説、オーケストラ(クラシック)

<目次>

序章
第一章 その女、凶暴につき
第二章 宿無し女の初仕事
第三章 世の中はスイーツほど甘くない
第四章 白石麟太郎という男
第五章 天城越え
第六章 光の階段
終章

著者の塩野氏は新聞記者です。
なるほど、見出しや節の冒頭で、読者を惹きつけるテクニックはさすがです。
序章の、最初の一文は、このようにはじまります。
「女、三十にしてすべてを失った」(4頁)

主人公の明菜は、「職」と「男」をなくした傷心(?)旅行の途上、神戸・瀬戸内の海岸で奇妙な老人と出会い、潰れかけの地方の小オーケストラを再生すべく、関西を舞台に、たいへん個性的な面々と繰り広げてゆく、ドタバタ劇です。
でもちゃんと最後には、しっとりと泣き処も抑えていて、楽しめます。

デビュー作『盤上のアルファ』(2010年/未読)で数々の賞を受賞した著者の、期待の第2作です。
一部登場人物が前作とリンクしていたりするそうですが、知らなくても読み進められます。
ですが、登場する個性的な面々をもっと掘り下げて物語に生かしてもよかったのでは、という点では残念です。
そのあたりも次作、次々作に生きてくる、という狙いなのでしょうか。
全体的には爽やかで読みやすい作風です。

前作では将棋、今作ではオーケストラをテーマにしています。
著者自身記者であるからか、本作では新聞記者も登場します。
オケの定期演奏会でのプログラムが、最初の段階で、ラベルの「ボレロ」、ホルストの惑星より「木星」、ベートーベンの「運命」、エルガーの「威風堂々第一番」と誰もが耳にしたことのある曲を選んでいるので、クラシックに詳しくない人でも心配ありません。
逆に、このような小説からクラシックを聞きはじめる、というのもいいですね。
「なんで"天城越え"やねん」と、ぜひそこだけは、突っ込みながら読んでみてください。


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副題:片岡義男エッセイ・コレクション
著者:片岡義男
発行:太田出版 / 1995年5月 / 単行本 
ジャンル:エッセイ

片岡氏が「あの」島というときは、ほぼハワイを指します。
ハワイ諸島といってもいいでしょう。
私自身が片岡作品を読むきっかけとなったのも、『頬よせてホノルル』という短編小説集です。
この作品は今では、青空文庫でも読むことができるので、興味のあるかたはどうぞ。

本作品の前半は、波乗りについて主に書かれています。
ハワイという島(あるいは島々)にとってサーフィンとは何なのか。
それは文化であり生活の一部であり、また唯一、身分制度に縛られないスポーツ(遊び)だったと説かれています。
身分制度?と思われた方にも、この本で触れられていますので、後ほど紹介しましょう。

<目次>

サーフシティからの航空便

彼らはなぜ海へ来るのか

どこにもないハワイへ行くには

南海の楽園より

あとがき


気になった箇所のご紹介です。
「ヨーロッパの文明と接するまでのハワイは、厳格なカースト制度のもとに、複雑で厳しいタブーや禁止事項の多い生活が、一般の人たちに強いられていた。(中略)王家の人たちや酋長たちがおこなうことを、一般のひとたちが真似しておなじようにおこなうのは、宗教的なタブーによって不可能な場合が多かった。しかしサーフィンだけは、等しく万人のものだったようだ。」(15頁)

「健康で体力ある肉体の、内部からの輝きみたいなものをサーフィンによってひっぱり出してくると、そのときはじめて、太平洋のまっただなかの島という自然と自分との調和が、具体的に見えてくるのではないだろうか。」(17頁)

「(前略)日本の人たちがいかに基本を忘れた奇妙で不自然きわまりない生活をするようになったか、具体的な例をひとつだけあげておこう。それは雨だ。雨は日本列島にとっては本当に恵の雨であるのに、そのことはすっかり忘れて鈍感になりきったまま、たとえば新聞は、梅雨入りになると必ず、じめじめした鬱陶しい雨として、梅雨を人々に伝える。」(61頁)

「ピアに向けて町のなかをまっすぐにメイン・ストリートが抜けている南カリフォルニアの波乗りの町で、そのメイン・ストリートの突き当たりにあるピアに波が衝突して砕け、純白の大爆発のように空中へ大きく躍りあがる様子を、メイン・ストリートの反対側の端から遠くながめるのは、ちょっとした宗教的体験といっていい。この世ならざる出来事だ。」(84頁)
→この「ピア」とは、桟橋(pier)のことです。

「聖地の入口としての、コンクリートの駐車場」(小見出し / 89頁)

「ソリッドな食事を腹におさめる。サーファーはへんなものを食べない。単純であってもきちんとした内容の食事が、波に乗るためのクリアなエネルギーをつくりだしてくれる。(中略)酒や煙草など、ぜんぜん必要ではない。サーフィンにほんとうにまきこまれてしまうと、自分の生き方にとって必要ではないもの、無駄なものなどには、いっさい手を出す気がしなくなってしまう。」(112頁)

「さきに書いたように、ぼくに見えているアイランズ・オブ・ジャパンは、雨の島だ。」(125頁)

「シミュレーションやマニュアルの象徴としての、スケジュール帳や腕時計に支配された時空間を生きる人たちは、考えることや学ぶこと、感じることなどを、最初から放棄している。」(135頁)

「キングス・ベーカリーのハワイアン・スィート・ブレッドを食べたいばっかりに、ジャンボ機ではるばる太平洋をこえてホノルルへ、かつてぼくはいったことがある。」(180頁)
→もう、笑うしか、ない。

「ながい時間をかけて太平洋の波間をさまよい、人里はなれた岸に打ち上げられてさらに何年も過ごした大木のようなドリフト・ウッドは、いかなる彫刻をも超えた芸術品だ。」(185頁)

「あの店でコーヒーを飲みたい、という気持ちを純粋に心の中で高めて、コーヒーだけのためにわざわざでかけていく店が、いまのぼくには二軒ある。」(189頁)

「人々が陳腐なイメージをかたちづくるための有力な材料のひとつは、こうした陳腐な写真ではないだろうか。そして、でかけていった先での観光行動もおそろしく陳腐であるなら、そこには発見による外への広がりはどこにもなく、あるのはただ、そこへいって来たという、内部にむかって完結する自己満足だけとなる。これはたいへんに怖いことなのだと、ぼくと彼との意見は一致した。」(192頁)
→別にまとめる必要もないのですが、例えばハワイのビーチの写真を観て、同じ場所にいくために飛行機に乗り、同じ場所で写真を撮ってお決まりの観光をして帰ってくるのと、その店のパンが食べたいから、あるいはあの店のコーヒーが飲みたいから、飛行機に乗ってハワイに行くという、欲望を叶えるための行動との違いを述べていて、前者の行動は、筆者たちによると「たいへんに怖い」ことだ、ということなのでしょう。個人的にはお決まりの「観光行動」による発見が何もないとは思いませんが、視野が広がらないという部分には、大いに共感できます。

「裸体を服によってかくすことと同時に、現地住民たちは、働くということを教えられ、強制された。したがって宣教師たちによって彼らが着せられた簡単なシャツは、裸体をかくすための服であると同時に、作業衣でもあった。」(232頁)
→アロハ・シャツの歴史は、ハワイ原住民が味わった屈辱と悲しみの歴史でもあるのです。先ほど紹介した『頬よせてホノルル』の中に、「アロハ・シャツは嘆いた」という短編があります。この作品で一部フィクションも交えて語られることになります。

「「ホワッチュ イート?」と、訊いてくる。突っ立って顎をあげ気味にした彼女から、こう訊かれたとき、ハワイの日系人社会という、たとえようもなく面白くしかもほかに類のない、まったく独特な文化との触れあいがはじまっていく。」(243頁)

「なぜプカ・シェルは本物を買ったほうがいいかというと、こたえは簡単だ。プラスティックのイミテーションは一日でも半日でも、できてしまう。ところが、本物は、できるまでに八百年ほど、かかるからだ。プカとは、ハワイ語で丸い穴、輪、ゼロという数字、などの意味を持つ。」(268頁)

「日常の用に供されている現実のぼくの日本語が、ハワイを経由してさらにその先へのびていくと、そこに小説のための日本語がある、と僕はきっと思った。」


最後に、青空文庫の『頬よせてホノルル』へのリンクを貼っておきます→こちら
サーフィンとダイビングはもちろんまったく違うものです。
ダイビングの場合、少なくともタンクを貸してもらうサービスが必要です。
和歌山のとあるサービス・ショップでは、一本目を終えてボートで帰ってきていただく昼食は、必ずカレーライスというところがあります。ふと、そんなことを思い出しました。

原題:MOBY-DICK OR WHALE (1851) 
著者:メルヴィル(Melville)
訳者:八木敏雄
発行:岩波書店 / 2004年12月 / 文庫本
ジャンル:小説、学術資料

言わずと知れた、エイハブ船長がその片脚の仇である白鯨こと”モービィ・ディック”を追う物語。
しかしただの物語ではなく、19世紀のアメリカにおける「鯨学」が、物語を分断させながら頻繁に登場する学術誌的作品でもあります。
物語はアメリカ東海岸にあるナンターケット島からの一航海が描かれていますが、主人公の(厳密には後半における主人公の)エイハブ船長は、以前の捕鯨活動の際に白鯨に片脚を喰いちぎられています。この旅は、宿敵・白鯨を倒すまでは決して戻ることのない、決死の航海なのです。
舞台となるピークオッド号は東海岸を出発した後、喜望峰を回ってインド洋に、そして日本の南側から赤道直下の太平洋へと進み白鯨との最期の決戦を迎えます。
登場人物はエイハブをはじめ、大変魅力的な人が多いのですが、一等航海士のスターバックの名は、あのシアトル生まれの有名なコーヒー・チェーンの企業名にもなっています。

訳者の八木氏は巻末の解説でも語っていますが、乗組員であったイシュメールをはじめとした「独白」で語られることが多い劇的な作品となっていますので、映画というよりは演劇によってこそ、魅力的に表現できる作品だと思います。
実際、日本でも過去に何度か演劇化されているようです。



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