『ナポリへの道』(評価★★★★☆) | 遠近法で描く中国 -2nd Season-

遠近法で描く中国 -2nd Season-

片手にピストル 心に花束 唇に火の酒 背中に人生を。 

著者:片岡義男
発行:東京書籍 / 2008年9月 / 単行本
ジャンル:エッセイ

ナポリへの道とは、ナポリタンを巡る道。
イタリアすら歩かない、徹底した食文化論です。

<目次>

1章 いかなる理由でナポリタンなのか
2章 元帥とイタリア風のスパゲッティ
3章 小麦をどう食べるか
4章 かあちゃん、腹へったよう
5章 デュラム、セモリナ、アル・デンテ
6章 なんでも好きなものを食べたまえ
7章 御八つ、お三時、三時ですよ
8章 ケチャップの瓶を逆さに立てる
9章 ナポリタンをシェアしたくない昭和の子供
10章 沈んでいく日本、浮かび上がるナポリタン
11章 ナポリタンのウィンドー・サンプルを探す度
12章 トマトが僕を追いかける
13章 ナポリタンのある街
14章 トマトにおけるファンタジーという日常

あとがき

気になった箇所のご紹介です。

「スパゲッティ・ナポリタンを注文した女性の客に、「当店では女性のお客様にはナポレターナをお出ししております」という店の存在を、僕は聞いたことがない。」(10頁)
→イタリア語の名詞には、男性名詞と女性名詞があるようです。

「日本を占領したアメリカの軍隊は、大量の食料品を持ち込んだ。(中略) 占領アメリカ軍が持ち込んだ食料品の中に、スパゲッティは簡便な必需品として常に大量にあったし、ケチャップはこれがないとあるとではアメリカ人たちの生存にかかわると言っていいほどのものだから、瓶詰めケチャップをぎっしりと何本も詰めた箱が、何万ケースという単位で日本に継続的に輸送されていた。」(16頁)

「高度な知識と体験、つまり高い質をともなった人生時間を生きる人が、創意を発揮してなにかひとつ新しいものを作り出そうとするとき、その人が持っている良きものすべてが一点に収斂(しゅうれん)し、鋭い針の先端で突いたような穴をひとつ開ける。それまでそこになかった穴だ。すぐれた創意とはそういうものだ。そしてこの場合のそれは、ナポリタンと命名された、日本のスパゲッティ料理だった。」(21頁)

「パスタは、小麦粉をどう食べるかという、人類にほぼ普遍的な課題への、ひとまずの回答だ。」(23頁)

「ケチャップはファンタジーだ。チキンライスやオムライスが子供の心をうれしくさせるなら、うれしくさせる力をもっとも強く発揮するのは、ファンタジーとしてのケチャップだと僕は判断している。」(37頁)
→無条件に片岡節です。

「コーヒーはどの町にいても飲みたくなる。しかし、ナポリタン/イタリアンは、京都を歩いているときでないと、それを食べることをそもそも思いつかないし、したがって食べたいとは思わず、食べないままとなる。京都にいると、コーヒーからその先へとのびた連想の突端が、なんの無理なくナポリタンに突き刺さる。それは、なぜか。京都の町がナポリタンだからだ。」(134頁)

「敗戦、終戦、焼け跡、占領、民主主義、米軍基地、復興への道、といった敗戦直後の日本をその一身に引き受けたような側面を、スパゲッティ・ナポリタンは持っている。占領アメリカ軍が間に合せに作った食事にケチャップによるスパゲッティ料理があり、それが日本の民間へと出ていき、一九四〇年代の後半から終わりにかけて、戦後の巷に広まって人気を得た、というかたちで戦後の日本をスパゲッティ・ナポリタンは映し出している。」(あとがきより)

本当に、食事前には読んではいけない本になっています。
つい、街の喫茶店で、ナポリタン(関西ではイタリアン)を探してしまう、そんな一冊です。
しかし、著者の真意は、あとがきに載せられた言葉にあるのだろうと思うのです。


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