出版:KKベストセラーズ / 2005年 / 単行本
ジャンル:エッセイ
作家・村上龍氏のエッセイですが、興味深いのは、書かれた順番です。
たとえば、最初の文章は2005年3月23日に書かれていて、逆時系列に進み、最後は2003年6月6日の日付となっています。
その約2年間を目次から追ってみます。
<目次>
25:「ハバナ・モード」
24:「小国スロヴェニアの智恵」
23:「犠牲と支配」
22:「幻の改革と変化」
21:「金正日体制は崩壊するのか」
20:「不況と相撲取り」
19:「そもそもイラクに治安があるのか」
18:「格差の象徴・腕時計」
17:「現実をなぞる」
16:「衰退し続ける大手メディア」
15:「従来からの反米への道」
14:「無意味な心意気と誠意」
13:「希望的観測による外交」
12:「イラク人質事件」
11:「サラリーマン週刊誌の死」
10:「黙ってついていくわ」
9:「決定権と責任」
8:「答えより、設問のほうが重要」
7:「可哀相な自衛隊」
6:「姥捨て山を拒否した二人の老人」
5:「『13歳のハローワーク』と一生の安定」
4:「幸福な原作者」
3:「キューバの快楽と『半島を出よ』」
2:「うつと、元気と、おせっかい」
1:「ハバナの夕日と国家目標」
既に何度もブログでは書いていますが、村上龍氏の長編『半島を出よ』は、日本人なら読んでおくべき作品です。
それでは、気になった個所の紹介です。
「しかし日本政府は、海外にいる邦人を守るという責務を負っている。そのために税金を取っているのだ。もっとも手っ取り早いのは、武装した軍隊で公館や邦人の安全を守ることだ。」(22頁)
→この文章の背景には、2005年の中国における反日暴動があります。この当時私は中国青島にいましたが、この地域には当時、管轄する領事部がなく、その他地域として北京領事部の管轄になっていました。在中国の大使館および領事館では、3か月以上中国に滞在する日本人に対しては、その旨届出をせよという指示が出ており、私も例外なくFAXで北京へ届出を出しましたが、この反日暴動の、当時の北京大使館領事部からは、何の連絡も、何の指示も、安全に関する一本の情報すら届きませんでした。その後、私は結婚などの事情でわざわざ飛行機で北京領事部に赴き、届出を済ませたのですが、窓口に出てくる係員はすべて日本語を話す中国人であり、日本人は奥に引っ込んでいて、トラブルの対処すらしてくれなく、全ての希望を打ち砕かれた経験があります。少なくとも、領事部・館内においては、そこは治外法権であり、日本人の人権や権利が最大限守られる場所なのに、中国人を何人も置いておくという事実は、何を意味し、何をどう考えているのでしょうか。ちなみに、上海の総領事館にも足を運びましたが、そこの窓口に出てくる者も、すべて中国人でした。内外に配置される警備員も含めて。結論としては、在中国の大使館・領事館は全く邦人を守る気概も意思もその義務さえも、持ち合わせていないということです。
「医学部や薬学など一部の学部を除き、多くの学生は、一、二年の間は受験と親の監視からやっと逃れたと遊びまくり、三年生になると就職活動だけに打ち込むので、実質的にはほとんどまとまった知識を身につけることができない。」(25頁)
→遊びまくり、というところが、大変問題なんだけどね。ただ、一、二年の間は殆どが教養課程だとか、今では大学に入ってから高校までの復習をわざわざしてくれる大学もあるそうで、大学の問題でもあると思います。正直にいって、その教養課程の部分を、高校卒業までにの課程に割り振って、意味のない暗記ロボットを生み出す受験のシステムを変える方が、重要だと思います。
「今回の書き下ろしでいろいろ考えたことがあって、その一つは「日本社会においては、ある程度ステイタスを築いた人間が新人のように再挑戦するという概念がない」ということだった。」(33頁)
→書き下ろし=『半島を出よ』
「北朝鮮による拉致被害者の情報提供が充分ではなく誠意が見られないので経済制裁を発動する時期だ、みたいなことが言われているようだ。経済制裁を検討するのは当然だが、経済制裁というのは基本的に脅しのカードとして使うもので、実際に発動してしまうともうそのカードは使えなくなる。」(62頁)
「もちろん金メダリストたちの栄光は、彼ら自身のために集中して努力によってもたらされたもので、日本国民を喜ばせ元気づけたとしてもそれは結果であって動機ではない。彼らの快挙は他の日本人にとって何の参考にもならない。」(86頁)
→オリンピックやサッカーのワールドカップ開催時に、日本国および世界中に散らばって登場する、日本人のにわか愛国者の皆々様方が、国家や国旗に心から敬意を祓い、国民の休日に国旗掲揚をしてくれたなら、我が祖国はもう少し素晴らしくなるはずなのに。祖国を離れ、海外に暮らすことを日常としている、世界中の日本人は、一瞬の気を抜くこともなく、胸にそれぞれの小さな日の丸を抱いて、日々、日本代表として活躍しているのだから。
「外国で日本人が生命の安全を脅かされる事態になったら、その人間がすばらしい人なのかゴミみたいなやつなのか、そんなことは関係なく、日本政府はあらゆる手段と方法を選択肢に入れて救出する義務がある。それは義務なので、淡々と遂行するべきもので、自己責任がどうのこうのと弁明するべきではない。」(118頁)
→この文章の背景にあるのは、2004年のイラクにおける日本人人質事件です。この事件に関しては、いろいろな憶測があり、いろいろな意見もあるとは思いますが、前述のとおり、日本を離れた日本人は、どんな立場の人でも常に日本代表であり、その思いを胸に抱く人なら、救出されるべきだと私は思います。
「外交は、最初から対立する利害を、できるだけ国益を守りながら調整し交渉するものなので、対立がない社会はどうしても不得意にならざるを得ない。」(131頁)
→この”対立のない社会”とは、日本のことを指しています。ただ、大事なのは、外交とは”最初から利害が対立”していることが大前提であるということ。”友愛”などと恥もなく吐き出す一国の宰相は、端から馬鹿にされていたのです。
「(以前にも書いたが、)最近わたしはどうして日本社会には決定権とセットになった責任という概念が希薄なのだろうと疑問に思うことが多い。たとえば自衛隊のイラク派遣にしても、万が一犠牲者が出たときに誰が、どういう責任を取るのかが明らかにされていない。」(140頁)
→ポイントは、決定権と責任、そして責任の所在、つまり誰が、ということですね。
「(特に、)「日本的な秀才は、問いと答えを結びつけることに優れているが、本当にむずかしくて重要なのは、問いを考えることだ」というニュアンスの利根川(進)氏の言葉が忘れられない。」(147頁)
「政府は、「国際社会が協調してイラクの復興にあたっているときに日本だけ傍観するわけにはいかない」とまるでオウムのように繰り返しているが、「国際社会」という言葉にはいったいどの国が含まれていて、どの国が含まれていないのだろうか。」(160頁)
自分自身の言葉が少し過ぎた部分もあるかもしれませんし、村上氏の考えに全面的に賛同しているわけでもないのですが、言葉と思考のプロセスについて、いろいろと考えさせられた一冊でした。
ハバナ・モード (Men are expendable (Vol.8))/村上 龍

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