『パール博士「平和の宣言」』(評価★★★★☆) | 遠近法で描く中国 -2nd Season-

遠近法で描く中国 -2nd Season-

片手にピストル 心に花束 唇に火の酒 背中に人生を。 

著者:ラダビノード・パール
編著者:田中正明
発行:小学館 / 2008年2月 / 単行本
ジャンル:人物、世界再発見

東京裁判(極東軍事裁判)において、全員無罪論を唱えた、インド代表・パール博士(判事)の著書です。
実際のところ、田中氏が出版などの全権を博士から授与され、1953年に『平和の宣言』として発刊されたものの、復刊になっています。
復刊にあたり、第一部と第三部を入れ替えるなどの、改訂がなされています。


[目次]

『平和の宣言』復刊にあたって 小林よしのり

凡例

第一部 アジアの良心(滞日同行記) 田中正明

第二部 世界に告ぐ(講演録)

第三部 真理と平和(論文・評論集)

付・パール博士小伝

あとがき 田中正明

パール博士の手紙


共感した箇所のご紹介です。
「かくして人一倍の努力がかさねられた。他の判検事が観光旅行や宴席のあるとき、博士はひとり帝国ホテルの一室にこもって、資料を蒐集し調査し読破していた。(中略)
読破した資料は四万五千冊、参考書籍三千冊におよんだという。かくして生まれたのが、英文にして千二百七十五ページ、日本語にして百万語におよぶ”全員無罪の判決文”であった。われわれは、この博士の三年間における大きな努力には、畏敬の念を禁じ得ない。」(32頁)

「パール博士は極東軍事裁判そのものを根本的に否定している。それは戦勝国が、復讐と宣伝の欲望を満足させるために、国際法を無視し、司法と立法を混合し、法の不遡及まで犯した一方的な軍事裁判であったからである。」(36頁)
→後に触れますが、博士の裁判を否定する論理は、”法による真理の追及”を蹂躙したことによる、ということから展開されます。

「お地蔵さんというものはですね。どうして道ばたにたっているかというと、それには一つの願いがあるんです。大衆が悟りをひらいて、安心立命の境にはいるまでは、決して自分は座敷にあがらない・・・・・という悲願です。それで雨や風にさらされながらも、野山の辻にたって、みんなの道しるべとなり、生涯をここで送る・・・・・その請願の姿がこれです。」(48頁)
→博士日本滞在中、下中彌三郎氏が地蔵尊の由来を博士に説く場面です。

「博士は東京裁判のさなかに、妻危篤の電報を手にした。博士はとるものもとりあえず、飛行機でかけつけた。そのとき夫人は枕辺に立った良人の手を握って、
「あなたがわたしを見舞うため、帰ってきてくださったことはうれしうございます。しかしあなたは日本国の運命を裁こうとされている大事なお体です。どうか裁判のすむまでは、わたくしのことはかまわないで・・・・・たとえ、どのようなことがあっても、わたしは恨みません。哀しみません。裁判終わるまでは・・・・・、決して帰ってきてくださいますな。」」(56頁)
→裁判を終えてインドへ戻ったとき、夫人の病は重く、五ヶ月後に亡くなられたそうです。

「博士において見落としてはならないことは、二つの相ことなる次元を一つの人格によって統一しているということである。すなわち非常に深い慈悲心と、非常に冷厳な心理の追求者としての態度である。」(59頁)

「博士は日本に来てみて、日本の評論家やジャーナリストや法律家が、軍事裁判可否の本質的論争ないしは戦犯の法的根拠の問題について、あまりにも無関心、もしくは不勉強であることにいたく失望すると同時に、義憤さえもおぼえたらしい。その義憤は、日本人の真理追及の観念欠けている点にたいしてである。長い物には巻かれろ、強いものには屈服せよ、というしみったれた根性にたいする義憤である。」(72頁)

「この席上ある弁護士が「パール先生のご同情ある判決」に対して感謝にたえぬ」という意味の謝辞を述べたところ、博士はその後をうけて、やや色をなして、
「私が日本に同情ある判決をくだしたというのは、大きな誤解である。私は日本の同情者として判決したのでもなく、また日本の反対者として裁判したのでもない。真実を真実として認めて、正しき法を適用したまでである。それ以上のものでも、それ以下のものでもない」とこたえた。」(72-73頁)

「つまり彼ら(西洋人)からすれば、われわれアジア人は人間の部類に属さないのだ、だからこそ原子爆弾を広島、長崎に落としたのである。-動物実験の意味でー。おそらく第三次戦争(世界大戦)で水爆や原爆を落とすところはどこかといえば、それはアジアであろう。決して白人の上ではない」」(75頁)

「毎日修学旅行にくる団体客が何千、何万とおしかけているにもかかわらず、これらの青少年に少しも仏教の教義を説こうという僧侶がおりません。これはいったいどうしたことでしょう。これではせっかくの神社仏閣も博物館でしかありません。形骸だけ存して魂なき宗教です。」(80頁)

「他人の眼ではなくて自分の眼でものを見る。宣伝やデマゴーグに踊らされないで、自分の頭脳で思考する。時流や権力に屈しないであくまで真理に忠実である、欺瞞と虚偽の仮面を剥いであくまで実体に近づこうとする努力・・・・・こうしたことを総括して「正確にものごとを考える」という言葉であらわすとするならば。この「正確にものごとを考える」こと、それこそが過去における日本民族の習性として欠けていたものであり、同時にこんにち世界で最も欠けている大事な点であると私は思う。」(119頁)
→1952年、東京大学での講演より

「私はここにみなさんにはっきり申し上げることのできるのは、この世の中にほんとうの平和を教えたのは、マハトマ・ガンジー一人であるということである。私は世界の指導者のなかで、平和にたいして信頼できる唯一者は聖雄ガンジーであると確信している。」(132頁)

「この”インド哲学”から発した”法は真理なり”を信じていた私がおどろいたのは、英国下院のある議員の言葉である。すなわち彼は「ニュルンベルクの戦争犯罪人を裁いたその法律は、人類のための法律ではなく、ニュルンベルクだけの法律である。つまり敗戦国ドイツの戦犯を裁くためだけに適用した法律である。それは一般に応用すべき法律ではない」と述べているのである。すなわち彼は、私の信念とは逆に、”法律とは一部の人間のためにつくられる”ものであるというのである。(中略) かくして彼らは、ニュルンベルクと東京裁判を、自分たちの勝手な解釈において、自分たちの利益のために、一方的におしつけたものであることを、臆面もなく、公然と発表しているのである。」(153-154頁)

「このたびの大戦において、最も大きな災害をこうむったものは、最も大きな犠牲となったものは、”法の真理”である。われわれはあくまで法の真理、法の正義を守らなければならぬ。」(156頁)

「非暴力ということは、暴力以上の勇気を必要とする。すなわち暴力を押しのけるだけの、暴力者をしてついに暴力を放棄せしめるだけの力を必要とする。」(171-172頁)

「世界のあらゆる宗教の教祖のうちで、「自分は神様ではない、自分はたんなる一個の人間である」と声明したのはお釈迦様一人だけである。釈尊は、自分は人間以外の何ものでもないということをお経の中ではっきりと述べられている。」(174頁)

「しかしインドの宗教は、山川草木みな仏性あり、という言葉に表れているように、人間はもちろん、花にも動物にも神の性質が内在していると考える。つまり超越的ではなく、内在的宗教である。ヒンドゥー教は、インドの伝統的な宗教であって、その洗練された表現が、が仏教である。したがって、ヒンドゥー教は本質的には仏教と同じだ。またヒンドゥー教と新道イズムは、非常に密接な関係がある。」(263頁)

「要はインドの神は、日本の神と同じように内在している。つまり神人合一である。キリスト教の神は、天の彼方において人間と離れている。そこに東西両洋の差がある。」(264頁)


東京裁判そのものの是非や、判決文については、あらためて『パール判事の日本無罪論』(田中正明著/小学館)などで学ぶ必要があるでしょう。
引用した文章でも意図的にそのような部分は避けました。
この本をご紹介したかった狙いは、パール判事の人物そのものです。
そして、なにより失われたものが、"法の真理"であること、なのです。



追記:心の師、臥龍先生が以前、ワールド・ビジョン・ジャパンさまを通じて、インド・マドラス地域へチャイルド・スポンサーシップを行っていらっしゃいました。
インドを選ばれたその理由の一つが、戦後の東京裁判におけるパール判事へのご恩返しだと、メルマガで読んだ記憶があります。
ガンジー主義を説いたネール首相を擁き、平和を求めていたはずのインドという国は、皆さまご承知のように、核保有国でもあります。
しかし、人の心はみな、平和を求めているはずです。
「平和の宣言」が無駄だとは思いません。
しかし、世界を揺るがす大きなうねりが起きるには、小さな私たちの、祈りと行動が必要なのでしょうね。



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