副題:片岡義男短編小説集
著者:片岡義男
出版:スイッチ・パブリッシング(単行本)
帯から引用します
「1960年代の東京で、青年は小説家としての一歩を踏み出す」
これが四編の小説に共通のテーマとして掲げられています。
あとがきでも片岡氏が触れていますが、この状況とは、片岡氏自身の境遇に近いということが、片岡氏のファンならすぐに理解できることでしょう。
各々のストーリィに、会社員を辞めてフリーのライターとして活躍する20代の青年が描かれます。
彼らがその主人公であり、美しい女性と、年配の編集者がまたそれぞれに登場します。
主人公は、彼が望んで小説を書くというより、今の仕事の延長として、またそれを時代が望むものとして、作家という職業にならざるを得ないだろうと、語ります。
そしてどの作品の中でも、小説を書く前の段階で、舞台の幕が下ります。
そんな片岡氏が、自身を模倣して創り上げた主人公をテーマにしたフィクションたちの、目次を紹介しましょう。
[目次]
アイスキャンディは小説になるか
美しき他者
かつて酒場にいた女
三丁目に食堂がある
あとがき
読んでいて、一つ悔しい想いをしたので、そのことを書いてみましょう。
最初の短編で主人公は喫茶店に、年配の編集者と入り、そこでコーヒーを飲みながら次の仕事の打ち合わせをしています。
その時代をぼくは生きていないので、劇中に入り込むしかないのですが、その店内で流される音楽が、ムゾルグスキーの「展覧会の絵」なのです。
もちろん、作品の中ではLPですが、ぼくもCDでこれをもっているのです。
しかし、それは大阪の実家の本棚の中です。
ぼくの父は昔からクラシック音楽やジャズに興味があったようです。
しかしぼくたち家族はあまりその影響を受けていませんでした。
でも、ぼくが今敬愛する、KTこと杉山清貴氏に出会ったのも、父の影響なのです。
そんなぼくが高校の芸術選択で選んだのは、音楽でした。
その他に美術と書道があったと記憶していますが、定かではありません。
そして「展覧会の絵」を始めて聴いたのは、その音楽の授業の中でした。
音楽の授業の1年間は、先生には失礼ですが、面白くはないものでした。
しかし、この「展覧会の絵」だけは記憶のどこかに残っていて、のちほど自分でCDを購入しました。
先月の帰国で迷った挙句、持ってこなかった自分に悔いが残っています。
片岡氏の作品で再開するなどとは、夢にも思わなかったのですから。
こういう描写をするところが、片岡作品の好さであることは、今更いうものでもありません。
最期に、片岡氏らしい文章がありましたので、長くなりますが引用します。
これがぼくがいつも書いている、想像力を刺激して、いつか自分もこんな風に描きたいと地団駄を踏ませる、片岡義男氏の技なのです。
「美しき他者」(47頁)より引用
「私は先生になるつもりで、教職課程に進んだのよ。でもなにも知らない自分、というものを発見したの。なにも知らないから、なにもできないのね。自分にはもっとなにかがなくてはいけない、と思うのはいいけれど、自分にはこれならある、と言える状態になるためには、自分でそういう状態にまで、自分を作っていかなければいけないのね。先生になって教えるということは、生徒たちがまだ気づいていない自分のなかから、これなら自分として育てていけるかな、と思えるようなものを、自分のなかから引き出していくための、きっかけを作ることなのね。そういう仕事をするためには、自分で自分のなかからなにかを引き出し、それを自分で作っていった経験がないと、どうにもならないわね。だから勉強することにしたの。」
ぼくの勉強という概念にぴたっと一致するものです。
久しぶりに片岡ワールドに浸って感じたことは、4本の薔薇の絵が描いてあるウィスキーで、ハイボールを呑んでみたいなという気持ちでした。
それは、BGMのために「展覧会の絵」が手元に戻ってからにしようか。
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