またまた再登場の芝川ビルです。

さて、ある方の話題からお酒のお話に花が咲いています。
そんな中で、昨年こんなニュースがありました。
「60年前の『ニッカ』と再会。創業家の竹鶴氏、大阪で」

舞台は淀屋橋。昭和二年築の芝川ビル。
地下金庫に眠っていた秘蔵ウィスキーの試飲会が開かれたというお話です。


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ビルを所有する会社、百叉のよるとウィスキーは2年半前に金庫室の片隅で発見されました。
ラベルは風化してぼろぼろ、中身はかなり減っていましたが
間違いなく「NIKKA WHISKY」の銘入り木箱にボトルが12本。

ニッカウィスキーは昭和9年竹鶴政孝が「大日本果汁」として創業。
日本人ではじめてスコットランドの製造技術を学んだ竹鶴は寿屋(今のサントリー)から独立し、北海道の余市に蒸留所を構えたものの、ウィスキーは最低3年の熟成期間が必要。
その間にリンゴジュースを作ってしのいでいたのですが、苦難の創業期を大株主として支えたのが芝川ビルオーナーの芝川又四郎です。
竹鶴が住んでいた家の大家だったのです。
(留学先で出会った竹鶴のリタ夫人は芝川又四郎の娘たちに英語を教えていたそうです。)
大日本果汁の設立総会は芝川ビルで開かれ、大阪出張所もこのビル内におかれました。

件のボトルは戦中~昭和25年までの商品とみられ、株の配当代わりに贈られたようです。
アルコール度数は十数度までおちていたものの、薫りも、雰囲気も、十分飲めました。

なので、このお店に集まる時は皆「余市」でハイボールです。
この看板、ちょっとみずらいかもしれませんが、ちゃんとビルのイラストものっているのが
心憎いですよね。

それともう一つ。
ニッカの余市では「My ウィスキー」造りができます。
毎回大盛況で抽選なのですが、作る体験をして、そのあと10年間余市で樽をねかせます。
10年後に、「My ウィスキー」と再会です。
私も1999年に作りにいきました。(2009年に再会しました。)
余市工場内のイギリスの片田舎風のTEAルームもお気に入りです。

見つかったウィスキーは、もののない時代に作られたウィスキーなので、
竹鶴の思いも、苦労も、語り尽くせないものがあるとおもいます。

よく残ったなぁ・・・。当日参加されていた、ニッカ相談役の竹鶴威氏(政孝の息子さん)の
感無量の言葉が芝川家への感謝の言葉にも聞こえました。