現在の社会で働く事は「報酬を得る就業活動をする事」と同一視されていますが、職業に就いていなくても働いている人はいますし、教師や臨床心理士、看護士など多くの職業は職業として確率する前からその仕事に携わる人がいました。
 今回の『仕事のイロハ 番外編』でも記しましたが、「働いて生計を支える」、「生きていくため収入を得る」というのは働く目的の大きい要素は占めていますが。多くの人は仕事を通じて社会とのつながり、自分の能力を発揮する事に充実感を感じてます。

 学生が「働く事=生活のため」というカテゴリーの枠からなかなか想像力が広がらない点に私は疑問を感じました。というのも、今の学生は多くはアルバイトをしていますし、また多くの学生の両親が共働き世帯だからです。「働く事=生活のため」だけでは何とも、実生活の観察力が乏しいのでは(興味がない?)と感じたのです。
 ここで、女子大と共学大学の認識が異なる点があります。
両親が共働き世帯が8割近くになるなかで、女子大の女子大学生に「お母さんが働いている事」について感想を求めたところ、
「生活のためだけではなく、お母さん自身のために働いている姿がすてきである。見習いたい」
「母が社会に貢献しているのだから、自分も負けて入られない」など、
母親の就業について好意的かつ、自分も将来は母親のように家庭と仕事を両立させたいという意見が多く出ていました。(母親の雇用形態が正規、非正規とわずこの意見は異口同音であり、家庭以外で帰属する世界を持つ母親に対して誇りすら感じられるコメントもあり、感動もありました。)

 一方、共学大学になると母親がなぜ働いているのか、真剣に考えた事がない学生も多く見受けられました。「たぶん、生活のためだけではないような・・・」程度の認識がありますが、
以前ある大学の学生は「考えた事もない」、「携帯代のため」などという発言もありました。
 私が伺った大学のレベルの差では?とも思った事もあったのですが、どうもそういう訳ではないようです。多分、(特に?)男子学生が母親との距離をより大きくとろうとしているこの年代では、自分の就職について、相談や考えなどは父親の方がしやすい点もあるのかもしれません。

 老婆心からいえば、今後夫婦共働き世帯となる事があたりまえとなる日本において、自分の奥さんがなぜ、結婚後も働きたいのか、理解する上では、自分の母親が働いている理由を理解する事も大切だと思うのですが・・・。

 話がずれてしまいましたが、今の日本でも実際にたくさんに人が収入にならない仕事をしています。昔から町内会の世話役や介護、環境保全活動などをおこなうNPOなど。多くの人がボランティアとして活動をしています。このような働き方は報酬や給与を目的とせず、自発的に仕事をする「無償労働」です。
 「無償労働」といわれているものはボランティアだけではなく、家庭の中で家族を世話する仕事(掃除、洗濯からはじまえい、子どもの世話、病気の時の看護なども)は誰も報酬を当てにしていません。あれかがやらねば、快適に生活できない重要な活動の多くは無償でおこなわれています。
 報酬の有無にかかわらず「働く」人がこの社会を発展させ支えています。私たちの知らないところで無数の人たちの働きのおかげで、私たちは教育を受け、家庭を営み、安全で、衛生的かつ健康で便利な生活を続ける事ができているのです。(例えば、震災後の自衛隊や消防の方々をはじめとする多くの方の働きを考えていただけるとご理解をいただけるかと思います。)
 社会から恩恵を受けるだけで社会にお返しをせず、自分は他人から煩わせずに好きなように生きたいというのでは、恩に報いる事が出来ないのではないかと思うのです。
(すみません、説教っぽくなってしまいました。)