1980年代から、1990年代に入りました!
夏の思い出シリーズ
昭和から令和まで、いつの時代もTMおっかけな私!
今日は話があちこちいくので、ちょっと長いです。
仙台では3年ぶりに七夕祭りが開催されているそうです!
1990年の夏、私は仙台にいました。
七夕の飾られたアーケード街にある喫茶店で、アルバイトをしていました。
七夕祭りに合わせて遊びに来た妹まで、お店のアルバイトを頼まれて、一緒にバイトしました。
お店の稼ぎ時でした
まだ時代はバブルでした
今のコロナの閉塞感とは真逆の、活気溢れる時代。
お祭り会場のあちこちで「踊るポンポコリン」が鳴っていた、そんな夏の思い出です。
そして七夕が終わって、遊びに来ていた妹と一緒に実家に帰りました。
アパートにクーラーがなかったので、早く帰りかったですね!
実家でのんびり過ごし、8月21日に帰り支度をして向かったのは、仙台ではなく東京でした。
目的地は舞浜!
ディズニーではありません。
この頃まだディズニーランドに行ったことがなく、舞浜ってどこ?でした。
鉄道マニアの父に聞いて「青春18きっぷ」で行けるように調べ、向かったのは東京ベイNKホール!
TMのファンイベント 「ARENA GATHERING」に参加しました!
あの「TMNリニューアル宣言」です!
過去記事ありました。
そして終了後、上野発の夜行列車で仙台へ。
学校は9月からだし、バイトもないし、まだ帰るには早かったのですが、私は戻らねばなりませんでした。
翌8月22日は、仙台でFENCE OF DEFENSEライブ!
初めてのライブハウスで全席自由!(というか立ち見!)
早めに行ってドラムの真っ正面をキープして、楽しかったです~
私が「幸せな学生時代」と思うのは、一人暮らしをして、アルバイトもして、責任と共に手に入れた自由があり、好きなアーティストが絶え間なく活動してくれていたからかな~と思います
次々と新譜が届けられ、ライブで聴ける幸せ
しかし・・・
このフェンスライブ後から、学校が始まるまでの1週間が長かった
やることないし、遊ぶお金はないし、アパートの友達はまだ誰も帰ってこないし、部屋は暑いし…ひま~
今の時代なら誰かは繋がるのでしょうが、一人暮らしのアパートには電話もなかったので孤独…
帰省していた同じアパートの友達がいつ帰るのかもわからず、毎日部屋の灯りを見て「まだいないのか…」とガッカリ
帰ってきてくれた時は嬉しかったですね~
便利すぎてスマホや携帯がない時代が信じられないけれど、コミュニケーションはほぼ対面だった。
電話がなくて、友達とは会わないと話せなかった。
そんな1990年の夏でした
ちなみに電話は翌年、単身赴任を終えた叔父の回線が空いたということで、名義を借りて引いてもらいました。
当時、電話回線7万円もしたんですよ
うちの親は行きたい大学に行かせてくれたし、県外に一人暮らしもさせてくれたし、ケチではないのですが、贅沢はさせてくれませんでした。
「電話は高いから、なくても良いでしょ!」って、エアコンもないし、帰省も毎回7時間かけて「青春18きっぷ」だし。
でもお陰で色々とありがたみもわかりました。
電話を家でかけられる幸せ…今の子は知らないだろうな。
でも、同世代の皆様も知らないでしょ!
あんまりいませんでしたよ、電話のない子
冬はコートを着て、近くの公衆電話までかけに行くのですよ
公衆電話用に10円玉をたくさん送ってくれた母の。
幸せだったと思える学生時代を過ごせて、両親には本当に感謝してます