小林麻央さんが先週の木曜日に亡くなりました。
夫で歌舞伎役者の市川海老蔵さんの会見をたまたま見ていた私は
大きくて深い重みのある言葉が絡み合います。映像からも、その言葉がはみ出ていました。
麻央さんの夫への最後の言葉
それは
「愛している」
日本では日常茶飯事ではないでしょう。
そのことだけでも、ドラマのようなものです。
しかも臨終という場面。朦朧とした意識での「愛している」は、本人が最後の力を振り絞って伝えたのだとわかります。
胸が苦しくなり、思わず私も涙しました。
実は私も5年前に乳がんを宣告されました。ステージIIで早期発見だったため、
命は助かりましたが、
3つの病院8人ものドクターと、
とても不幸な出会いが繰り返されました。
やっと主治医が見つかりました。
手術が終わり、その後の治療を巡り、判断をはっきりさせなかったドクターから暴言を吐かれるなど、辛いことの連続でした。
やっと4年前に今の主治医ドクター出会ったのです。
人は自分が持っていることに対して、当たり前の感覚。
そのため
「ない」という感覚がわからないどころか、
持っていない人の「ない」を想像できないし、また敢えてしようとしない傾向にあります。必要ないからでしょう。
例えば学歴。ある人はない人のことを考えませんし、
富裕層は、昨今の貧困の報道に対して無関心です。
家族のある人は、ない人のことを忘れ、病気や介護などで手厚く看護されている人は、されない人のことを想像するヒマもありません。
想像できないということは、今の状況がある程度恵まれていると言えるでしょう。
でも、ちょっと、待ってください。
人生はいつどうなるかわからないもの。
辛酸をなめてきた人が、崖っぷちから這い上がったり、
その逆のこともあるのです。
ある日突然病気になった人と、
なったことのない人とでは、
人間に、そして人生に対する姿勢が分かれていきます。知ること豊かになる人もいれば、試練に負けそうになってヘコタレてしまうこともあります。
病気になったことのない人(医療者も含めて)、
なったことのない人の中には、無神経な人もいます。残念なことですが。
でも小林麻央さんのような著名人で、しかも「伝える」という仕事を担う女性の言葉は、人の心に息を吹きかけますね。その度に、私たちの心は錆びずに、新たに蘇ることができるのです。
麻央さんがブログに綴る思いは、同じ乳がん患者だった私にも響いてきます。
病気だけの人生ではなく、
夢を叶えたり、人との関係で花開くこともあったりと、彩りのある人生と言葉にする麻央さんは素晴らしく、
また眩しくもあります。
少なくても私には、”彩り“の瞬間があったのだろうか、と。ふと過去という時間を遡ってしまいます。
一瞬は永遠であるなら、
麻央さんの生きた人生は、それこそ永遠に残るでしょう。ブログという表現を通じて、まずは残された子供たちに。そして親族に、さらには日本や世界中の乳がん患者にも。
亡くなってから一週間経ちましたが、
まだ私の中で、ちゃんと整理されていないかもしれません。
一つ言えることは、
一生懸命生きている女性は、それだけで周囲の人にはもちろんのこと、表現者であればその伝達によって、勇気を与えてくれる。
そのことを
改めて麻央さんは教えてくれました。
様々な感慨をもたらした
「愛している」
永遠なる愛のメッセージを
私も人生で大切な人に語りたいですね。




