子供のころから夏になると

 

毎朝のようにイカ刺が

 

食卓に上るような家だった

 

 

となりのおばあちゃんが

 

リヤカーでイカを売っていて

 

「イガイガ~ (イカではなくてイガってなまってた)」

 

というその声で目が覚めた

 

 

祖母が何はいかイカを買ってくると

 

手際よくさばいてパキパキの

 

歯ごたえの透明なイカ刺しが

 

大きなどんぶりに山盛りにして

 

それをぼおばっては

 

学校に出かけたものだった

 

 

そんな思い出がいつまでも沁みついて

 

大人になって「イカソーメン」などという

 

生きの下がったまずぞうなイカを見ると

 

(しかもソーメンつゆにつけて食べるって(ーー)

 

とてもまずそうで食べる気がしなかった

 

 

そして今 イカそのものが

 

獲れなくなったときいた

 

様々な理由があるのだろうけれど

 

今一番問題なのは漁獲量の制限問題

 

 

年間に獲れる量を決めてそれ以上は

 

獲らないように禁漁にするもの

 

以前にマグロでもそんなことがあった

 

今回はその逆パターン

 

 

全体的にはその量は超えているのだろうけれど

 

実際に函館で獲れるイカは全体の

 

数パーセントにすぎない

 

津軽海峡を挟んだお向かい青森は

 

その何倍もイカが獲れているのに

 

 

函館のイカを求めてくる観光客には

 

残念なんだろうけど

 

地元の人間はもっと残念だ

 

 

その格差をどうにかできないか

 

地元の国会議員さんが奔走して

 

くれているがなかなかうまく進まないようだし

 

イカ漁師さんも半ばあきらめている

 

様子が残念でならない

 

 

私たちはイカの街 函館と

 

言われることに誇りを持ってきた

 

港まつりにみんなで踊る

 

「いか踊り」だって街の名物だ

 

その灯があのいさり火が消えてしまうのか

 

 

獲れるところと獲れないところ

 

一色単にダメということではなく

 

地域ごとに一定量が獲れたらおしまい

 

みたいなことにはならないのか

 

もちろんこれまでのスルメイカの獲れる時期を

 

平等に守ってのことだけど(ーー

 

 

先週スーパーで朝獲れのイカを見つけた

 

1パイ500円くらいだったけど

 

もうしばらくイカを食べられないかと

 

思ったら思わず買って

 

祖母の見よう見まねで覚えたやり方で

 

(もちろんそんなにうまくはできないけれど)

 

さばいて食べた 美味しかったことは

 

言うまでもない(^^

 

 

アンガーシックス(だったかな?)

 

人が怒りを覚えた時に

 

6秒間がまんすれば落ち着く

 

という話を聞いたことがある

 

 

朝からとにかくむかつくことばかり(ーー

 

具体的なことは言わないけれど

 

とにかくまったく配慮がない

 

と思ってしまう状況

 

 

それでもこうして客観的に

 

書いているうちに6秒は過ぎていく

 

少し落ち着いてきたのか

 

 

一つだけ言えば

 

次回も会わなければいけない

 

はずだった人と もう会わないと決めた

 

話せば話すほどに否定されている

 

気がしてならないから(ーー

 

 

それなら自分でやる!! と決めました

 

自分でやった成果は

 

確実に数値に出ているから

 

それでも否定される意味が分からん(ーー

 

(あっちも仕事なんだろうけどね)

 

 

というわけでだんだん

 

落ち着いてきました

 

明日から冷静に進められそうです

 

アンガーシックスおそるべし(笑)

 

最近よくこのワードを聞く

 

まずは当然だが時間は戻らない

 

若い頃はだから後悔しないように

 

とか言われたものだ

 

 

しかしこの歳なってくると

 

後ろより前の方が短いので

 

もはや後ろを顧みる時間は

 

もったいないように思う

 

 

だから自分の身体や心と

 

折り合いをつけて生活していくしかない

 

先日は「悪くなってもよくはならない(ーー」

 

と言われた ただまぁその言い方だけどね

 

 

 

今日は「元には戻らないけど抑えましょう」と

 

言われた。悪くなると言われれば不安になるが

 

ありえないことではないので

 

受け入れるしかない

 

 

でも元には戻らないといえば

 

それは少なくとも不安にはならず

 

受け入れられることができる

 

少ない前を進むことができる

 

 

 

受け入れられるのと

 

受け入れざるを得ないのとでは

 

大きな違いがあるような気がする

 

 

というわけで実は今月は

 

詩会の詩誌の原稿締め切り月

 

詩を2編とエッセイを1編

 

ださなければならない

 

 

詩は毎月書いているのでいいが

 

エッセイは年に1回だから

 

何を書いたらいいのか思案中

 

今日の出来事がエッセイの種に

 

なるといいなと思います