月が替わるごとに

 

能登半島地震から何か月

 

という報道がされる

 

 

ちょうど元日だった

 

ということもあるけれど

 

もう(なのか?!)半年が

 

過ぎたのだと改めて思う

 

 

日頃思いださなくても

 

月が替わるたびにマスコミが

 

取り上げるその風景は元日のあの日から

 

ほとんど変わらないように見える

 

 

今朝も71日間車中泊という

 

おじいさんの話を聞いた

 

同じ石川県でも金沢では

 

何ごともなかったかのように(?!)

 

北陸新幹線で遊びに来てと賑わう

 

 

ではそこで落とされたお金は

 

能登の人たちに届いているかといえば

 

とてもそんな風には見えない

 

まるで別の国にいるかのごとく

 

 

当時の記憶を思い返せば

 

朝市が火事で焼け

 

古い家が多かったから

 

次々と家が倒壊していった

 

 

避難所に身を寄せるのは

 

意外に少なく みんな次々と

 

金沢へと逃れていった

 

もちろん復興したら帰ってくるつもりで

 

 

それは福島のそれに似ていて

 

いったん故郷を離れると

 

戻ってくるのはお金も心も大変だ

 

お国は戻らないなら復興しなくていいね(ーー

 

と言わんばかりで 遅々として復興が進まないのは

 

そんな気持ちがあるのではないか

 

 

しかもせっかくがんばって残った人も

 

人が戻ってこなければ

 

商売が立ちいかないで苦しんでいる

 

あんなに大きな地震でしかも同じように

 

市場が全焼した神戸の街は

 

あの日のがれきはどこにもない

 

(もちろん心の傷はいえることはないだろうけど)

 

 

都会でたくさんの人が住んでいるなら

 

すぐにがれきの撤去も進んだろうに

 

能登半島はこのままでは

 

瓦礫と残骸のまま誰もいなくなってしまう

 

 

 

お国と行政はどこまで行っても

 

弱いもの力のないものをおいてきぼりにしてしまう

 

あと半年

 

来年の元日は能登半島のみなさんが

 

あったかいお正月を迎えることを

 

切に祈る