あの日もこんな朝だった

 

ような気がする

 

薄曇りの中からうっすらと

 

朝焼けがうっすらとかかり

 

日がのぼったのかと

 

早朝の病室で外を眺めていた

 

 

 

呼吸が止まったと聞いてから

 

先生が病室に来るまでの間

 

病室には母と私だけ

 

考えてみると父の時も

 

最期は私と弟一家だけ

 

 

 

たぶんお医者様が来て

 

「〇時××分 ご臨終です」と

 

お医者様が宣告するまでは

 

死亡ともみなされず

 

生でもない死でもない時間が

 

流れていったのだろう

 

 

 

TVでみるそれは

 

お医者さんが心臓マッサージをしたり

 

家族が枕元で泣き叫んだりするけど

 

(実際中学生の頃 そんな光景を

 

見たこともあるけど)

 

高齢者のそれはとても穏やかな

 

無の時間が流れていくだけだった

 

 

 

母の祥月命日にそんな話を

 

仏壇の前に長い時間座って

 

母の好きだった蒸かしイモを供えて

 

話していた

 

 

相変わらず母の何かしらの命日は

 

葬儀も四十九日も納骨も

 

そしてその日も雨だった

 

ドンだけ泣いているんだよ(ーー

 

と思うが未だ泣けない私の代わりに

 

泣いているのかもしれない

 

 

 

喪が明けました

 

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