もう28年になるあの日
毎年書くこの光景
TVをつけるとアナウンサーが
後ろの喧騒を上回る声で何かを
伝えようとしているけど言葉にならない
それよりもその画面に映った
高速道路が分断されてなぎ倒された画像と
永田市場の燃え盛る炎が
尋常ではない出来事が
起きていることを知らせる
そこが神戸だと知ったのも
しばらくたってからだったけど
そんなに離れていても
震えが止まらなかったことだけ
覚えている
でも今朝道々歩きながら
その日のことを思いかえすと
あの日もこんなに雪が降っていただろうか
まだこの仕事に就く前のことで
もちろん母も元気だった
1月の中旬といえば
寒の入りに入りたぶん
そこそこ雪もあったろうに
まったくといっていいほど
あの日のTV画面しか覚えていない
もっとも日を追うごとに
どんどん記憶は風化していき
一昨日の晩御飯は何かと聞かれても
躊躇してしまう年齢になったのも事実
それでもあのTV画面の記憶だけは
風化することなく覚えていること
それが亡くなった方々への供養になる
と思うことにしている
合掌