7年という月日がどれだけのものなのか
すでに小学生入学したての子供たちは
今年中学生になる
退屈だと言っていた毎日
当たり前だと言っていた毎日の
いかに幸せだったかということ
もう声を発することも
笑顔を見せることがないとわかっていても
骨一つ髪の毛1本でもいいから
帰ってきてほしいと懇願する家族も
7年という月日の前で時間の流れに
進まざるを得ない
最近はお年寄りの方が
いろんな意味であきらめムードなのだという
7年は先に短い人生の中では
大きな時間なのかもしれない
見知らぬ環境に否応なしに身を置いて
建物や街はきれいになったけど
新しいコミュニティを築けずに
孤独を抱えて生きるのはつらすぎる
逆に若者はあえて自らをその大きな現実の中に
自分を置くことで絶望と葛藤の7年を何とかして
新しい7年に作り上げようとしているように思えた
誰かの役に立つ誰かの力になる仕事に
着きたいという若者や子供がいるという希望だってある
地震国と言われるこの国にあって
これからも同じような苦難に遭うことが
あるかもしれない
けれどその時こそ大きな苦難を経験した
ものだけが立ち向かえるこの国の英知と
若者たちの行動がさらに小さな子供たちに
バトンをは渡してくれると信じている
それまでできることだけでいいから
支えていくことが今の私たちの使命だと
3.11を迎えるたびに肝に銘じる
2018.3.11のあなたへ
私は忘れない あの日のことを
皆さんが津波の中で漂い 逃げ惑い
慟哭の夜を過ごしたことを
一睡もせずに毛布をかぶって
震えていたあの夜の私のことを