神サマ業って、けっこうつらい職業だよね・・・
普段は全く忘れられて、みんな好き勝手にしているくせに、
都合のいい時だけ来られて。
なのにちょっと気にくわないと、全部神サマのせいにされて。

それでも愚痴の一つも言わないで、
今日も一人、黙々と、誰かのことを想っているのかな。

神サマは、永遠に一人きりで片思い。
けして報われきれない想いを、ずっと抱えながら。

神サマを辞めたくならないのかな・・・
どうして、神サマなんかになったの・・・?
私だったら、絶対になりたくないって思うよ・・・?

その答えは、
それほどまでに、この世と人を
愛しているから。愛してやまないから。

だからこそ、いつも忘れず親しく話しかけてきてくれる相手を見つけると、
ことさらに愛したくなるんだね。

だから私は、世界で一番、神サマに愛されている人間だ。



これは、2~3年ほど前に 「私は世界でいっちばん神様に愛されている人間なんです! なぜなら、私はいつも神様とおしゃべりしているからです!」 と、とても力強く語ってくださった、とある牧師先生のお話を、自分なりに解釈し自分に取り込んだ結果の気持ちです。

私がこんなふうに人間感覚で神を理解しようとすることは、冒とくだと叱られることだと、おこがましいことだとわかっています。
でも、せいいっぱい今の段階の自分にわかる感覚の範囲で、片思いの時の切なさを、都合のいい(悪い)時だけの存在に使われる時の気持ちを、大事に思っていた人たちから捨てられるようにして忘れられていく寂しさと孤独を、それくらいだったら、私は少なからず知っているから。
私は、この私の大好きな神様を、そんな寂しい片思いにはさせたくない。
他の存在に次々と軽々しく浮気して、二心も三心ももちたくない。
自分の利益・都合のために一方的に利用するだけの存在にはしたくない。
自分がされたら少なくとも嬉しくはないから、だから私もしない。
ただ、そんな単純な気持ち。

特に日本には、自分を神と称するものも含め、人に神のごとく奉られているような存在がたくさんあります。
それらにも、もし心があるとしたら、彼ら本人は本当に満たされて幸せなんだろうか、人からいいように利用されて、さんざん浮気されて、それでも嬉しいんだろうか、少しも寂しさを感じないのだろうか・・・そんなことを時々思ってしまったりするのです。
そして、逆に、人間はそんな寂しさを感じることができる存在であるのに、神にそんな寂しさを感じられる心が無いのならば、そんな存在を自分の神として、もしくはそんなものを信じる自分自身を、本当に最後まで信じていけるのだろうかと・・・実際に何も考えずそうしていた私は、自分のしてきたことが恥ずかしく、ある意味本当に失礼なことをしてきたと申し訳なく、そして恐ろしくなるのです。


こんな私だから、24時間365日、完璧に上手にできるだなんて思ってない。
でも、どうかできるだけ、私の心の思いと言動によって、無神経に無自覚にあなたを傷つけ、
あなたを寂しくさせてしまいませんように。
そして、あなたを寂しくさせていないなどと、おごり高ぶることがありませんように。

そんな私に、なっていけますように・・・

───
あなたを本気で知り初めて7年目、やっと小学生になったばかりの、まだまだ小さい未熟な私の、今の告白です。
私はもっと集めたい
この自分という空の器の中に

心無い矛盾だらけの偽りのものを見抜くことができる力を
命を滅びに追い落とす無数の死の言葉や
力も意味もない記号なだけの億の語句よりも
少なくてもいいから大切なものを守れる 生きた力あることばを
それを分別し 頭と口と体に実際に使わせていける 本物の一心を
先にあるものが教えてくれている 恵みを知ることができるわざを
これは自分にとって 活かせるよいものだと 自分で取捨選択できる力を

言葉なり 知識なり 知恵なり 真理なり
自分よりも先にある さまざまなものの中で
何を どれを 自分の中に取り入れ 残し蓄え増やしていくのか
このすでに他によって造られた土の器に
なじみ 沁みこみ 離れずしっかりと根づくものを
まだ足りないこの空の器に満たし 自ら湧き溢れるまで
私は探し求め 集め取り込んでいく
目に見えたって ウソはたくさんある
それなら 目に見えなくたって
ホントもあるんじゃないのかしら

見えてたって 信じられないものなどたくさんある
だから 信じられるということにとって 見えなくちゃいけないということは
必須である必要は どこにもない
私が有って欲しいと 有ることを知りたいと切望していたものが
本当に有ることがわかった
それを知ることができた
それが実際に直接 自分の手に入るかどうかは
また別の問題だとしても

有るということを知ることができた
それだけで もう安心できる 希望を続けられる

ただ私は それだけが得たかったんだ
ただ安心して 心地よく息が続けられる場所を 得たかったんだ

祈りは叶った
だから もう私はこれで充分
何度顔をあげても 惑い迷って とうとう足がすくみ
ついにどの方向にも踏み出せなくなって 立ち往生していた

今日 願い祈り探し続けていた方向に やっとやっと一筋の光

でも 焦らず 慌てず 落ち着いて 冷静に 大切に
同じ失敗は もう繰り返したくない
仮にまた後悔しても 前のようには悔いたくない

新しく 無数の方向に開けていく初めての世界を
しっかり目を開けて また大切に歩いていこう

この やっと見つけた予感の光の差す方向へ
感謝し 祈りながら 地にきちんと足をつけながら
やっと許され示されて開かれた道を 歩き進んでいってみよう
真っ黒でも
灰色でも
ドブ色でも

どんな色だって

人間の心 よりは

きれいな色だと思う

だから 自分を何かの色に表現できたのなら
それだけで
充分きれいになれたということ



私は冷たい寒い色にしか例えられたことがありません。
もちろんほんとにそういう理由で、です。
まぁ別に否定しないけど(苦笑)
そんな私から見たら、黒とか灰色って
充分温度の感じられる 温かい優しい色だなと思う。
若い時に出会って、これだ、と 一目惚れしてから今までずっと、
お守りのように おまじないのように、大切にしてきた名言があった。

「自分がしあわせかどうか 問わなくともよい
しかし あなたとともにいる人が しあわせかどうかは 問うがよい」


そろそろ、さらに次の何かひとつを探して見つけにいってもいい頃かな。

名言集.com

わかるものもあるし、自分の考えとはちょっと違ってわからないと思うものもある。
まだ自分が未熟で難しいと思うものもある。
だけど、ここをずっと読んでいると、
いつの時代になっても、若くても年老いても、男性も女性も、
偉人も庶民も、みんなそれぞれ同じように悩み繰り返し問いながら、
一生懸命生きているんだな・・・と、独りじゃないとしみじみ思う。
同じだから 助け合える
違っているから 励まし合える
自分で自分に呆れるくらいに
熱しにくく 冷めやすい性質の私

だからこそ 何年経っても変わらずに
こうして今もなお
私を冷めさせないでくれる尊い存在を
私は 大事に守っていきたいと思う

そして
私も冷められないように
自分からも冷めさせていかないように
努力を保っていきたいと思う