アナと雪の女王、2回目を鑑賞。

初めて見たときよりも早い段階で泣いてしまい、さらに感動してしまった。


映像美や楽曲の素晴らしさに、ひたすら感動して帰ってきた1回目。

2回目はストーリーやキャラクターの台詞がいいなぁ。から、

愛と恐れについて、思いが巡ったりした。


Let it goの曲と共に、自分を愛するという最初の殻を破ったエルサの姿にも

もちろん心を打たれたんだけど、(楽曲と映像の美しさ、力強さにも)


アナがエルサを氷のお城に迎えにいったときに

「一人では帰れない。二人で帰りましょ。」と言った台詞。


そして、最後の場面での

「門が開いてるっていいね。」という台詞が、

本当にあたたかいなぁ・・・と心がじんわりとあたたかくなった。


宇多田ひかるさんの、ラスト・フレンズの主題歌だった、あの曲にも

こんな歌詞あったよね。


自由でも余裕でも独りじゃむなしいわ。って。


自立をすれば、自立をするほど、パートナーシップの道からは遠ざかっていく。

というような文章を読んだせいかもしれない・・・けど、

現代社会に必要なエッセンスじゃないかな。って思う。


自分を大切にすることは第一段階として、もちろん大切なのだけど、

(そのときのエルサの輝きが増したように)


さらに「他人を想いやる愛」というのかな。

にっこり笑いあえる相手がいる、受け止めてくれる人がいる。

そして、この人のために動きたい。ということが、

心をどれだけ癒し、心を豊かにするか。


子供が味わってしまった失敗を、大人が愛で癒すのか、

それとも恐れから「トラウマ」として植えつけてしまうのか。


自分が持っている魔法・・・言葉の力とか、得意なこととか、好きなこととか・・・

を愛の力で形作っていくのか、

それとも恐れによって自分だったり、他人だったりを傷つけてしまうのか。


色んな愛、色んな恐れについて、考えさせられる2回目の鑑賞となりました。

心が痛むエピソードを通して、何かを教えられたような気持ちになったり、

気付きを与えられるようなことって、たくさんある。

その気付きがあったときに、涙が出るぐらい感動するようなことがあるし、

心が洗われたような気持ちになる。


だけど、もっと大切なのは、

その段階を経て、その気付きを自分の生活の中でどうやって生かしていくか・・・だと思う。

そうやって、毎日の中に新しい光を取り入れて、反映させて生きている人って、

すごく輝いて見えるよね。


そう思ったのは、実は「死神くん」を見て。


第1話も第2話も見たけれど、私はどっちの結末にも、ちょっとモヤモヤした気分になったから、

多分、これが私という人なんだと思う。


それに、最近、映画でもドラマでも小説でも

あまりにも人の心や体が痛んだり、痛めつけられたり、死という事実を軽々しく扱いすぎているんじゃないかと思うときがある。


「死」はとても尊いものだし、

そこから私たちの心に響くことはたくさんある。

心や体の痛みからも。


当たり前のことに感謝しなければいけない。とか、

平和であることは当たり前ではなくて、平和を祈る人々の想いの上に成り立ってるんだなぁ・・・とか

もう、書きだしたら、ブログに書ききれないほど。


だけど、だからって「死」そのものがカッコイイとか、

「死」を選択するなんて、清々しい。輝かしいとか。

「死」があっての「生」の輝きとか・・・そういう死の書き方ばかりがクローズアップされちゃうのは

なんか、モヤモヤしちゃう。


例えば、死神くんでも、

今まで良いコすぎていじめられていたコが、最後まで友達を思って輝いて死んでいった・・・

今まで言えなかったことが言えた。

男の子と歩いたことなかったのに、男の子と歩けた。・・・それで、もう私は満足!

それは素敵なことなんだけど、

じゃあ、それを勇気を出して乗り越えていけたんだから、次はどうやって、それを少しずつこれからの人生に生かしていこうかな。


そんなふうがいいな。と、つい、思ってしまう。

それを反映させていくのは、もちろん、視聴者である私たちに委ねられていることなんだろうけど、

そのようなエピソードばかりが続くと

言葉だけが浮き立ってしまってるな・・・と思ってしまう。


私も、気付きを生活に反映させていける人になりたい。


祈りを唱えるだけではなくて、祈りの人になる。

(「本:面倒だから、しよう」より)


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最近、ちょっと病気とか肌アレ対策とか、そういう記事を読んでいて思うことがあった。


病気って、肩コリとか肌アレとか、そういう軽い症状のものから始まって、

最後は生活習慣病とかいうものまであるんだけれど・・・

病気の症状は色々とあれども、その予防対策に書かれていることは

ほとんど同じなんじゃないかな?と思うことがある。


規則正しい生活。

バランスのとれた食事。

適度な運動。

ストレスをためない。

十分な睡眠。


etc・・・・。


もちろん、薬だったり、化粧水だったり、その症状にあったものは

色々と必要なんですが、基礎はこれじゃないかな?と思う。


いつか、Gacktさんが

「肌」は体の状態そのものを表しているものだから、

表面的には化粧水をつけたりしてなんとかなっても、根本的には内臓から来るものだから・・・

なんて言っている記事を読んだことがあって、


あぁ、なるほどなぁ・・・。

と思ったことがあるけれど、うん、本当にそうかもと思うこの頃。


日々の生活が、いちばん大事☆

毎日のちょっとしたことが、私というものを形どっていくんだね・・・☆

椿大神社へ行ってきた。

昨年の12月に行ったばかりだったけど、あのコと最後に訪れた思い出の場所。


ここ最近感じていたモヤモヤと向き合いたかったし、

何より、あのコが心穏やかで、喜びに満ちていて、幸せと感じられるように、

きっとお導きがありますように、って願いたかった。


猿田彦の神様は、導きの神様だもんね。


天之鈿女命は神楽の神様。

一度は、距離ができてしまった二人をもう一度繋いて、すごく仲良くなったのは

実はこの神楽、というか同じ芸事に偶然取り組んだのがきっかけ。


この日は雨が降っていて、

肌寒い日だったけれど、傘や木や建物にあたる雨音がなんだか心地よくて

神社の静かで凛とした空気を引き立たせていたような気がする。

私の気持ちに合っていたのかな。


天之鈿女命様の椿岸神社では、ちょうど結婚式が行われていて

ご祈祷を受けた後に行ったら、ちょうど新郎新婦が建物の外に出てくるところだった。

結婚式を見ることができたら、嬉しいなぁ。と思っていたので

本当にラッキー♪

あの二人で足並みを揃えてゆっくり歩いている雰囲気は独特のものがある。

ふんわりと二人を包み込む空気は、他に参拝していた人も私も優しい気持ちにさせたと思う。


それから、結婚式が執り行われた、その場所をじっくり眺めて、

今日、この場所に居合わせられたことに感謝をした。


椿岸神社では、包まれているような心地よさを感じた。

天之鈿女命様は自分の好きなことを心から楽しみ、情熱をそそいだ神様。

そして、そんな輝きに猿田彦の神様は魅かれたんだろうなぁ・・・なんて思いを馳せる。

そんな躍動的な神様だけど、この日はそっと、優しく心に寄り添ってくださっていた。


神社内にあってお茶室では、

上品で笑顔が素敵で、優しいオーラをまとったおばあちゃんにお手前をしていただけた。

シーンと静まった茶室。窓から見える緑と静かな中に響くか響かないかぐらいの音の雨音。

心が落ち着くって、こういうことだろうか。


茶室から出て、弓道場に向かう途中で、

涙がこぼれて、しばらく泣いた。

あのコと一緒に歩いたぬくもりが降りてきたようにも感じた。


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帰り道。

心穏やかになるのかと思いきや、心がざわざわしていた。


悪い感じじゃない。

何かしたい。と思う、ちょっとドキドキのざわざわだと思う。


大丈夫、大丈夫。

私が自分の好きと感謝が、きっと自分にとっていちばんの道を切り開いていく。



・・・それにしても、下道を走ったから往復5時間かかって、

さすがに疲れた。

ゆっくりと体を癒そう。