STOP共同親権!離婚後共同親権に思うこと | 月あかりの中庭で~北極猫と月の猫

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猫型ですので
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今日は少しニュースな話題です。


 2001年にDV防止法ができましたが、その真逆ともいえる法

共同親権(離婚後共同親権)が出来そうです。

これが採決されると

様々な子供の補助金も

減るか打ちきりになると

言われています。


この様な法がなくても、

離婚後に(共同親権と同じ様に)

子供が両方の親と会ったり、

食事をしたり、

送り迎えをしたり

している人達はいます。


ひとくちに離婚と言っても

様々な事情があります。

『真実は当事者しかわからない』のですが、

【会えないのは重大な問題がある】

場合がほとんどです。


『離婚後に親権がない側の親が会えない』

『虐待をみつけられない』等の

理由で急に採決されそうな法です。

親は勿論ですが

(離婚するに至った親・離婚を考えてる親・子連れ再婚をした親)、

『憎しみ合う親の間で

子供は悩み苦しみます』


私も両親が長く不仲で罵り合う姿をみて苦しんだ子供時代です。

DV防止法は

当時はまだありませんでした。

親から理由なく

殴れたり刺されたり、

時に殺されかかったり。

親が死のうとしたり。

死のうとする位ですから、

夫婦喧嘩がエスカレートして

殺し合いになり

やっと警察が止めに来たり。

(当時は夫婦喧嘩で怪我をしても、警察は簡単に来てくれませんでした。)

親の外面が良かった分、周りには信じてもらえませんでした。

「家族から殺人者が出ない様に。

速く離婚してくれます様に。」

「今日は喧嘩をしません様に。」

と夜になると布団の中で祈り。

寝る前に包丁・ハサミ・果物ナイフ・カッター・ハンマー等を隠し、

部屋の戸が簡単に開かない様にして、何時でも窓から叫べる逃げれる様に窓の鍵を開けてから寝る。

起きた時には、全員が生きてるか確認する。

流血レベルの夫婦喧嘩の翌日は

学校や就職したばかり職場を休む。

当然、高校生になってからは出席日数が足りなくなり、

職場では欠席遅刻を叱責される。

(本当に体調が悪い時に休めなくなる。体調が悪いと自己管理が悪い叱責される。)

親が離婚するまで続きました。


ある時、外出先で父が母に

何針も縫うほどの怪我をさせ、

警察が頻繁に訪問する様になり、

私と兄弟で「家庭内殺人が起きる前に、離婚して欲しい」と

懇願して離婚をして貰いました。

もっと早くに

離婚して欲しかったですが、

子供に言われるまで、

警察が巡回してくれるまで、

『自分達が殺し合いレベルになってる自覚がなかった』のかも知れません。


離婚後も父方の親族が私の職場に押しかけ仕事の邪魔をする。

父は父で職場で出待ちする。

私が入院した時(父や父の兄弟が生きてた時)、

父がぐでんぐでんに酔って

見舞い来て騒ぎになったり、

手術の日に父の 元愛人だった女性と

病室が偶然同じなり、

(その女性が父の恋人の一人とは病院は勿論、私も知らない)

たまたま見舞いに来た父と偶然に鉢合わせ。

離婚後とはいえ、居合わせた母が激怒して帰ってしまい。

年上の元愛人(70代)は父と復縁したいが為に、必要以上に私の世話を焼き私の体調が悪化。

部屋を移動するなど、

病院に迷惑をかけ。

成人してからも忘れた頃に生活に影を落とす様な事が続きました。


SNSが普及する前の話しです。

そんなに昔でも田舎町では噂になり、名字だけは父と同じにしてましたが、家裁に名字の変更を申し立て。父方から名字を母方に変更。

転職。

それでも探して父方親族による職場訪問は続き。

(流石に父は出待ちしなくなりました。外面が命の人だったの名字を変えた事で「もう、自分の自由に娘を呼び出し出来ない」と思ったそうです。)

何度目かの転職後

「このまま、

この街では就職が出来ない」と

都内の会社に就職しました。


就職後…両親が離婚後十何年後…

父の健康保険料金の事で会社に訪ねて来た人がいたので驚きます。


良く言えばおおらかでダイナミックな時代の昭和から平成の中頃は、

現代ではあり得ない雑で自己責任まかせの時代でした。

(ザックリとここまで書き自分でもビックリです。)

母は離婚直接から何年かは

「父さんと会わなくて良いよ。

悩まなくて良いよ。

会って傷つくなら会わなく良い。」

と言ってくれましたが、

定期的に会ってても

血縁を盾に押しかける様な人達。

話して通じる相手ではありません。

会わないと押しかける、

呼び出される回数が増えるだけなので会ってました。

それに身体が弱い父が心配でもありました。

憎しみもありましたが、父という事実は変わらない。

父が倒れた時も役所と病院から私あてに連絡が来ました。

父が亡ってからも5年ほど振り回された事になります。


私は子供は授かりませんでしたが、

元気な時は仕事の合間に

地元の小学校や高校で

出前講座のお手伝いや

花壇の作成などの

お手伝いをしたり、

仕事の合間に親族の子供のお世話をさせて頂いてました。


子供は笑顔でいるのが

一番よいのです。

親や親族の都合で生きづらい、

生活しづらいのは

本当に悲しいことです。


笑顔な子供の為に

共同親権(離婚後共同親権)については

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