岩井俊二 1 「UNDO」 アンドゥー
DVDに入れた4本はいずれも1時間未満の短編で、
同じフジテレビ系列の「世にも奇妙な物語」に近いテイストだ。
しかしどの作品もクオリティーは高く、その映像世界が今でも
斬新なのは流石。
制作年
1992 GHOST SOUP
1993 打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?
1993 FRIED DRAGON FISH
1994 undo(アンドゥー)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
で今日はこの作品。
岩井俊二 1 UNDO(アンドゥー)
まずUndoの意味。
辞書によると、元に戻す、取り消す、脱ぐ、緩める、
ほどく…などだが、
ここではキーワードの「縛る」の反意語
「ほどく」が
分かりやすいと思う。
何しろこの映画は全篇「縛りまくって」いるのだから。
演じるのは若き豊川悦司と山口智子。
無味乾燥した倉庫風の部屋で暮らすある夫婦。
犬猫の飼えないマンションで、夫がペットとして部屋に
連れてきたのは二匹の亀。
夫の由起夫は亀の甲羅にドリルで穴を開けひもを通し
自由を束縛する。
ひも付きで海岸を泳がしたりする。
歯列矯正金具。
これも対象を縛り付ける為の道具である。
夫婦はこれを付けて非日常的なキスを貪るように味わう。
が終わった後の由起夫の態度は、クールだ。
ある日、編み物好きな妻、萌実は自分の手も含め
周辺のものを何でも編みこんでしまう。
亀もがんじがらめにされ
吊るされたりもする。
妻は、あらゆるものを縛りたいという
欲求にとらわれる。

カウンセラーの下した診断名は「強迫性緊縛症候群」。
「あなたは奥さんを、縛りつけてはいませんか?」
質問に由起夫は答える。
「縛る?…いや…むしろ、ほどけているのだと思う…」
次第に萌実の症状は悪化していき精神のバランスを
崩していく。
カウンセラーは夫に、妻の望むように
彼女自身を一度縛ってみることを勧める。
「ちゃんと…縛ってよ…」
由紀夫は萌実の言う通り縛っていく。
これでどうだ、どうなんだ。

しかし萌実は無表情でつぶやく。
「もっと…ちゃんと…縛ってよ…」
なんじゃなんじゃこれでもかこれでもか……
エスカレートしていく緊縛行為。

しかし、萌実は又も囁く。
「ちゃんと…きつく…縛ってよ…」
由起夫は部屋中に蜘蛛の巣のように紐を
散乱させ、狂気と化して
萌実を縛り続ける・・・
しかし・・・

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これは大人の映画だ。
行為に目を奪われ、
理解できない人も多いかもしれない。
つまり、
萌実の「ちゃんと縛ってよ」は「ちゃんと愛してよ」
ということなのだ。
由起夫は萌実との関係を「むしろ…ほどけている…」
と表現している。
それ故、由起夫は必死になって萌実を縛るが
形だけの行為は、相手に伝わることがない。
男に認識できないことが、女には本能的に見えてしまっている。
男女間の愛の違いについて普遍的な部分を描いていて
秀逸な短編だと思う。
同じフジテレビ系列の「世にも奇妙な物語」に近いテイストだ。
しかしどの作品もクオリティーは高く、その映像世界が今でも
斬新なのは流石。
制作年
1992 GHOST SOUP
1993 打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?
1993 FRIED DRAGON FISH
1994 undo(アンドゥー)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
で今日はこの作品。
岩井俊二 1 UNDO(アンドゥー)
まずUndoの意味。
辞書によると、元に戻す、取り消す、脱ぐ、緩める、
ほどく…などだが、
ここではキーワードの「縛る」の反意語
「ほどく」が
分かりやすいと思う。
何しろこの映画は全篇「縛りまくって」いるのだから。
演じるのは若き豊川悦司と山口智子。
無味乾燥した倉庫風の部屋で暮らすある夫婦。
犬猫の飼えないマンションで、夫がペットとして部屋に
連れてきたのは二匹の亀。
夫の由起夫は亀の甲羅にドリルで穴を開けひもを通し
自由を束縛する。
ひも付きで海岸を泳がしたりする。
歯列矯正金具。
これも対象を縛り付ける為の道具である。
夫婦はこれを付けて非日常的なキスを貪るように味わう。
が終わった後の由起夫の態度は、クールだ。
ある日、編み物好きな妻、萌実は自分の手も含め
周辺のものを何でも編みこんでしまう。
亀もがんじがらめにされ
吊るされたりもする。
妻は、あらゆるものを縛りたいという
欲求にとらわれる。

カウンセラーの下した診断名は「強迫性緊縛症候群」。
「あなたは奥さんを、縛りつけてはいませんか?」
質問に由起夫は答える。
「縛る?…いや…むしろ、ほどけているのだと思う…」
次第に萌実の症状は悪化していき精神のバランスを
崩していく。
カウンセラーは夫に、妻の望むように
彼女自身を一度縛ってみることを勧める。
「ちゃんと…縛ってよ…」
由紀夫は萌実の言う通り縛っていく。
これでどうだ、どうなんだ。

しかし萌実は無表情でつぶやく。
「もっと…ちゃんと…縛ってよ…」
なんじゃなんじゃこれでもかこれでもか……
エスカレートしていく緊縛行為。

しかし、萌実は又も囁く。
「ちゃんと…きつく…縛ってよ…」
由起夫は部屋中に蜘蛛の巣のように紐を
散乱させ、狂気と化して
萌実を縛り続ける・・・
しかし・・・

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これは大人の映画だ。
行為に目を奪われ、
理解できない人も多いかもしれない。
つまり、
萌実の「ちゃんと縛ってよ」は「ちゃんと愛してよ」
ということなのだ。
由起夫は萌実との関係を「むしろ…ほどけている…」
と表現している。
それ故、由起夫は必死になって萌実を縛るが
形だけの行為は、相手に伝わることがない。
男に認識できないことが、女には本能的に見えてしまっている。
男女間の愛の違いについて普遍的な部分を描いていて
秀逸な短編だと思う。
三國連太郎 「人生の贈りもの」 6
「撮影が終わると、
台本は捨てていますし、
賞のトロフィーは人に差し上げています」
三國連太郎の役者魂を表す言葉です。
こんな人が何処にいるというのでしょうか。
改めて三國さんの偉大さを感じます。
さて、前回偉そうなことを言っておきながら
今までで最も遅い更新になってしまいました。
色々なことが、ひどく虚しく感じられてしまい
なかなか抜け出せず、最期は風邪まで
引いてしまいました。
・・・ようやく
ラストの肖像が完成し掲載します。
三國さんの記事も終了になりますが、
多くの素晴らしい言葉に勇気づけられたことは
事実で、これをアップ出来たことをうれしく思います。
「人生は、終わりのない挑戦です」
「自分のことを振り返ると、褒められ評価されたという
老廃物をどう浄化出来るかが生涯の仕事だと思うのです。
役者は自分を痛め付けること
でしか、前に進めないのではないでしょうか。
平和や豊かさは役者にとって、足を引っ張るだけのもの。
足を引っ張られる怖さを知って、更なる段階へ進む…
終わりのないのが役者ですね」
語りつくせぬ驚異の人生。
踏み止まらず
安住することなく
走り続けた
老いることのない精神は
常に自分を戒め
続けてきた。
三國連太郎、87歳。
まだまだ生き続け
新しい役に
挑んで行くのだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・
役者に限らず
人生に立ち向かう姿勢…
感銘を受けると同時に
わが身のあり方を考えさせてくれた
三國さんに改めて感謝いたします。
・・・・・・・・・・・・・・・
最後の画像は1982年1月1日に
向田邦子新春ドラマ(テレビ朝日)として放映された
「春が来た」から。
三國は、桃井かおり、杉田かおる姉妹の父役。
会社を辞め、新聞のチラシ広告を内職で作る
善人だが金に縁がない、職人気質(かたぎ)の男。
人間臭さ全身に滲ませ、その存在だけで泣けてきそうな
くらいだった。

三國連太郎 「人生の贈りもの」 5
実はまだ肖像画が完成していません・・・
が記事は載せることにしました・・・
でないとまだ時間がかかりそうですから。
もともとダイアリーと銘打っているのに
いつの間にかウィークリーになってしまっており
少し心を入れ替えることにします・・・
三國さんの続きです。
思い出してくださいませ。
おっと・・・その前に今日は・・・
ーー少し前のかっこいい三國さんのCM映像からーー
「芝居には豊かな精神的土壌が要る」
人生は砂漠に似ている。
生を見つめ、充足していくためには
死を意識するところから始めなければならない・・・
70年代半ば、三國は仏教の注釈書を読み始めた。
その中に、作家野間宏の「親鸞」があった。
前世や過去の因縁に縛られることなく、現在を如何に生きるか。
ノートに仏教関連のことを書きとめていった。
それが50冊くらいになった。
彼岸に向かう道は、恐ろしい火と水にはさまれた白い道。
「僕は、火と水の恐ろしい川に落ちそうになり手綱を締めることがある。
親鸞を通して自分の生き方を見ようと考えたのです」
「親鸞・白い道」
映画化を企画した三國は台本を作者の野間宏に依頼する。
しかし多忙な野間は首を縦に振らなかった。
結局三國は仕事の合間をぬい、7年をかけて自ら台本を書き上げた。
それを読んだ野間は・・・
「使い物にならない」と答えた。
「映画の為の原作本を書こう」
三國はもう一度考想を練り直すため資料や本を集めた。
重みでアパートの床が抜けそうになった。
そして・・・15年かかってついに映画は完成した。
野間宏から手紙が届いた。
「理解できない人が多いかもしれないが、僕は分かった」とあった。
その監督作品「親鸞・白い道」は
見事、1987年カンヌ映画祭審査員賞を受賞する。
「ヨーロッパでは、当時仏教の関心が高く、親鸞とキリストを
重ねてみたのでは・・・
審査委員にノーマン・メイラーがいて、推してくれたのが大きかった」
メイラーは戦後進駐軍の一員で来日しており日本には馴染があった。
代表作の「裸者と死者」など自ら体験した戦争を舞台にした
世界レベルの作が多い。
「親鸞・白い道」の製作費は5億円。
借金も多く、いよいよの時は夜逃げだと思っていたので受賞は本当に
うれしかった」
「役者は人生の経験が大きい。自分に欠けているからそう言ったのです。
役者は精神的土壌が豊かでないと本当の芝居はできにくいと思う。
台本のセリフを文字通り暗記しても精神的土壌がなければ、観客に
うまく伝わらない。
はらわたを取り出してしょっちゅう汚れを洗うことです。
人間は自分を正当化するばかりですから・・・」
以下次回
(次で終了とします)
ーーー今日の最後ーーー
この歎異抄の朗読
なんちゅう良い声をしているのだろう。
憧れてしまう・・・
内容は難しい、けれど声に癒される・・・
が記事は載せることにしました・・・
でないとまだ時間がかかりそうですから。
もともとダイアリーと銘打っているのに
いつの間にかウィークリーになってしまっており
少し心を入れ替えることにします・・・
三國さんの続きです。
思い出してくださいませ。
おっと・・・その前に今日は・・・
ーー少し前のかっこいい三國さんのCM映像からーー
「芝居には豊かな精神的土壌が要る」
人生は砂漠に似ている。
生を見つめ、充足していくためには
死を意識するところから始めなければならない・・・
70年代半ば、三國は仏教の注釈書を読み始めた。
その中に、作家野間宏の「親鸞」があった。
前世や過去の因縁に縛られることなく、現在を如何に生きるか。
ノートに仏教関連のことを書きとめていった。
それが50冊くらいになった。
彼岸に向かう道は、恐ろしい火と水にはさまれた白い道。
「僕は、火と水の恐ろしい川に落ちそうになり手綱を締めることがある。
親鸞を通して自分の生き方を見ようと考えたのです」
「親鸞・白い道」
映画化を企画した三國は台本を作者の野間宏に依頼する。
しかし多忙な野間は首を縦に振らなかった。
結局三國は仕事の合間をぬい、7年をかけて自ら台本を書き上げた。
それを読んだ野間は・・・
「使い物にならない」と答えた。
「映画の為の原作本を書こう」
三國はもう一度考想を練り直すため資料や本を集めた。
重みでアパートの床が抜けそうになった。
そして・・・15年かかってついに映画は完成した。
野間宏から手紙が届いた。
「理解できない人が多いかもしれないが、僕は分かった」とあった。
その監督作品「親鸞・白い道」は
見事、1987年カンヌ映画祭審査員賞を受賞する。
「ヨーロッパでは、当時仏教の関心が高く、親鸞とキリストを
重ねてみたのでは・・・
審査委員にノーマン・メイラーがいて、推してくれたのが大きかった」
メイラーは戦後進駐軍の一員で来日しており日本には馴染があった。
代表作の「裸者と死者」など自ら体験した戦争を舞台にした
世界レベルの作が多い。
「親鸞・白い道」の製作費は5億円。
借金も多く、いよいよの時は夜逃げだと思っていたので受賞は本当に
うれしかった」
「役者は人生の経験が大きい。自分に欠けているからそう言ったのです。
役者は精神的土壌が豊かでないと本当の芝居はできにくいと思う。
台本のセリフを文字通り暗記しても精神的土壌がなければ、観客に
うまく伝わらない。
はらわたを取り出してしょっちゅう汚れを洗うことです。
人間は自分を正当化するばかりですから・・・」
以下次回
(次で終了とします)
ーーー今日の最後ーーー
この歎異抄の朗読
なんちゅう良い声をしているのだろう。
憧れてしまう・・・
内容は難しい、けれど声に癒される・・・
三國連太郎 「人生の贈りもの」 インターミッション
ここのところ低調であり
思い悩んだ末・・・
三國さんの肖像画のラストは
文字通り劇中に最期を迎えるシーンがある
と聞いていた
映画「大河の一滴」から
ピックアップしようと考えた。
肖像を描くため、初めてビデオで鑑賞。
途中までは悪くないと思っていた。
でも途中から「おやっ」と思う個所が増え
見終わってみると
「え・・・それはないだろう・・・」
としばし絶句。
結果、ペンを持つどころか、事前のモチベーションを
削がれてしまい、苦肉のインターミッションとなって
しまった次第。
言い訳がましいが、今日はこの映画について
私見を書くので
興味のある方のみご覧ください。
映画のロケーションは
金沢を初めとしてロシア、東尋坊など美しい。
加古隆の哀愁の旋律も良い。
そして三國さん、主人公の父親の役作り。
やっぱり圧倒的な存在感だなあ。
そしてその、家族が見守る中最期を迎えるシーン・・・
思わず息をのんだ。
そうかこんなふうにやるのか、うーん素晴らしいなあ。
こんな演技誰もできないだろうな。
他の配役についても悪くない。
渡部篤郎 倍賞美津子も好み。
ところがどうしたものか・・・
私は原作を読んでいる
五木寛之ファンとしては残念この上ない。
これはひどいではないか。
つまり話が全然ダメなのだった。
安田成美の演じる主人公の女性の人物像
そして生き方が意味不明なのである。
三國さん役の一個の人間の人生は、
戦争体験から長きを経て終わりを告げるまで
そのままで感動的だ。
しかしこの女主人公が、
父の死とその言葉から受け取ったものが
何だったのか理解できない。
だから彼女の他者に対しての発言や行動に
必然性もなく
身勝手なだけに思ってしまう。
「お父さんありがとう。
古都金沢からロシアへ・・・
愛と生と死をめぐる、
心の旅が今始まる」
ロシアに再び行って何をしてきたの?
そこには初めから予測できる
意外でも何でもない光景しか
なかったではないか。
では何のために行ったのか・・・?
書かれたコピーに苦笑してしまうほど
空しくなりるラストシークエンスだった・・・。
そもそも(大河の一滴」は随筆であって
小説ではない。
原作のテーマである
ーーー人間は、「生きている」
ただそれだけで、
値打ちがあると思うのですーーー
が映画では一体どう解釈されているんだろう。
理解できない。
ほぼこの話は新藤兼人のオリジナル作品といえる。
ではなぜ、原作五木寛之などと記されているのか。
知名度の高い作家名を入れて客寄せ…ということかよ。
新藤兼人は今も現役で98歳。
たまたま
先日「大竹しのぶ」のドキュメンタリー番組で
車椅子に乗りながらも健在な姿を見て
喜んだり驚いたりした矢先にこれを見た。
この映画は2001年の作品。
最晩年に来て無理があったと思う。
かつてあれだけ素晴らしい仕事をした方の
名誉にも関わることだし
依頼者は罪作りなことをした。
大映画作家新藤兼人90歳での執筆に対し
大企業名が並ぶだけの「大河の一滴」制作委員会が
何を言ったのか・・・
何も言えなかったのか・・・
教えてほしいものだ★
思い悩んだ末・・・
三國さんの肖像画のラストは
文字通り劇中に最期を迎えるシーンがある
と聞いていた
映画「大河の一滴」から
ピックアップしようと考えた。
肖像を描くため、初めてビデオで鑑賞。
途中までは悪くないと思っていた。
でも途中から「おやっ」と思う個所が増え
見終わってみると
「え・・・それはないだろう・・・」
としばし絶句。
結果、ペンを持つどころか、事前のモチベーションを
削がれてしまい、苦肉のインターミッションとなって
しまった次第。
言い訳がましいが、今日はこの映画について
私見を書くので
興味のある方のみご覧ください。
映画のロケーションは
金沢を初めとしてロシア、東尋坊など美しい。
加古隆の哀愁の旋律も良い。
そして三國さん、主人公の父親の役作り。
やっぱり圧倒的な存在感だなあ。
そしてその、家族が見守る中最期を迎えるシーン・・・
思わず息をのんだ。
そうかこんなふうにやるのか、うーん素晴らしいなあ。
こんな演技誰もできないだろうな。
他の配役についても悪くない。
渡部篤郎 倍賞美津子も好み。
ところがどうしたものか・・・
私は原作を読んでいる
五木寛之ファンとしては残念この上ない。
これはひどいではないか。
つまり話が全然ダメなのだった。
安田成美の演じる主人公の女性の人物像
そして生き方が意味不明なのである。
三國さん役の一個の人間の人生は、
戦争体験から長きを経て終わりを告げるまで
そのままで感動的だ。
しかしこの女主人公が、
父の死とその言葉から受け取ったものが
何だったのか理解できない。
だから彼女の他者に対しての発言や行動に
必然性もなく
身勝手なだけに思ってしまう。
「お父さんありがとう。
古都金沢からロシアへ・・・
愛と生と死をめぐる、
心の旅が今始まる」
ロシアに再び行って何をしてきたの?
そこには初めから予測できる
意外でも何でもない光景しか
なかったではないか。
では何のために行ったのか・・・?
書かれたコピーに苦笑してしまうほど
空しくなりるラストシークエンスだった・・・。
そもそも(大河の一滴」は随筆であって
小説ではない。
原作のテーマである
ーーー人間は、「生きている」
ただそれだけで、
値打ちがあると思うのですーーー
が映画では一体どう解釈されているんだろう。
理解できない。
ほぼこの話は新藤兼人のオリジナル作品といえる。
ではなぜ、原作五木寛之などと記されているのか。
知名度の高い作家名を入れて客寄せ…ということかよ。
新藤兼人は今も現役で98歳。
たまたま
先日「大竹しのぶ」のドキュメンタリー番組で
車椅子に乗りながらも健在な姿を見て
喜んだり驚いたりした矢先にこれを見た。
この映画は2001年の作品。
最晩年に来て無理があったと思う。
かつてあれだけ素晴らしい仕事をした方の
名誉にも関わることだし
依頼者は罪作りなことをした。
大映画作家新藤兼人90歳での執筆に対し
大企業名が並ぶだけの「大河の一滴」制作委員会が
何を言ったのか・・・
何も言えなかったのか・・・
教えてほしいものだ★
三國連太郎 「人生の贈りもの」 4
皆さん今晩は。
いつも読んでくださってありがとう。
今回はだいぶ間が空いてしまいましたね。
何しろ新しい画が完成しないと
進めないので…
で漸く完成。
早速スタートします。
「芝居には精神的土壌が要る」
三國連太郎のデビュー作 1950年作品
「善魔」!
「悪魔」が悪意を持った魔物・・・だとするならば
「善魔」とは善意を持った魔物ということになる。
「悪に立ち向かうためには魔性を持った善が必要である」
これが劇中に語られるポイントになるセリフらしい。、
悪をやっつけるが、周囲を巻き込み時に傷つけるのは
マスコミの意味もあり、この話のテーマに関係するようだが、
そのへんはどうでも、連太郎はデビュー作からすでに
普通の人間と異なる、魔性を体現出来ていたのではないかと思う。
やはり抜きん出た存在感が評価され、1951年度ブルーリボン賞の
新人賞を受賞している。
作品の出来はともかく、この映画は見てみたい気がする。
監督の木下恵介DVDボックス全集に入って市販されているので、
いつか。
この映画で連太郎の演じた役名はズバリ「三國連太郎」という。
つまりこの役名をそのまま芸名にした。
岸田国士の原作での役名は三國(さんごく)連太郎だったが、
作者を軽井沢の家に訪ねて行った折、これを「みくに」と読む芸名が
決まったとのことだ。
本名は佐藤政雄。
息子は佐藤浩市だが、浩、市、は、大監督である稲垣浩と市川昆の名前から
一字ずつもらってつけたとのこと。
木下監督が劇団俳優座代表の千田是也氏に頼み
養成所に通い始めてから、東野英治郎、小沢栄太郎などから
個人授業のように基礎を教えてもらった。
坂東妻三郎、池辺良、宇野重吉、渥美清などの芝居を見に行ったら
皆違う。自分に吸収しようといろんな俳優をモデルにした。
1957年の「異母兄弟」では共演の田中絹代と釣り合うように
前歯の上を4本、下を6本抜いて老人役に臨んだ。
その時の年齢は34歳という若さだった。
「台本に哲学があるので、そこに接点を持って演じていかないと
役者の自負に背くような気がしたのです。自己満足と言えばそれまでですが…」
そののち・・・・・
デビューから20年くらいの間に、立て続けにたくさんの秀作、問題作に出演し
映画界で唯一無二の存在となる。
三國さんの関わった映画の監督たちは
今村昌平や小林正樹、山本薩夫、内田吐夢、吉田喜重など限りなく多数で、
主役か主要俳優としてこんなに多くの監督に使われた俳優も
いないんじゃないかと思われる。
「大いなる旅路」「飼育」「にっぽん泥棒物語」
「飢餓海峡」 「襤褸の旗」「復讐するは我にあり」「あゝ野麦峠」
などに於いては毎日映画コンクール他数々の賞の最優秀主演男優賞や
最優秀助演男優賞を受賞した。
因みにその後創設された日本アカデミー賞では
平成2年 「利休」 、平成4年「息子」、平成8年「三たびの海峡」と
三度主演男優賞を受賞。
加えて勲章も「勲四等旭日小綬賞」(平成5年)頂く!!!
1973年
独立プロの作品に多く出演していて資金が底をついた。
妻と別れ息子と生きていける金を渡して、自分ひとりアパートに移り、
もう一度自分を見つめ直すことが大事だと考えた。
「おぎゃあと生れ、両親がいなくなり、自分もいつかは死んでいく…」
「人生は砂漠に似ている」と思った。
砂漠で朽ち果て、自分の亡骸を鳥に食べさせ鳥葬で終わる作品を
作ろうと考えた。
しかしシルクロードからイランに入ろうとしたら、国境地帯は焼き払われ
撮影スタッフの命の危険をも感じ、帰国。映画は未完のままとなった。
(以下次回)
画像は「大いなる旅路」より
1960年のこの映画、
それから丁度半世紀が経過したが
ここでも老け役の三國さん
引き算をすると、なんとまだ37歳である☆
いつも読んでくださってありがとう。
今回はだいぶ間が空いてしまいましたね。
何しろ新しい画が完成しないと
進めないので…
で漸く完成。
早速スタートします。
「芝居には精神的土壌が要る」
三國連太郎のデビュー作 1950年作品
「善魔」!
「悪魔」が悪意を持った魔物・・・だとするならば
「善魔」とは善意を持った魔物ということになる。
「悪に立ち向かうためには魔性を持った善が必要である」
これが劇中に語られるポイントになるセリフらしい。、
悪をやっつけるが、周囲を巻き込み時に傷つけるのは
マスコミの意味もあり、この話のテーマに関係するようだが、
そのへんはどうでも、連太郎はデビュー作からすでに
普通の人間と異なる、魔性を体現出来ていたのではないかと思う。
やはり抜きん出た存在感が評価され、1951年度ブルーリボン賞の
新人賞を受賞している。
作品の出来はともかく、この映画は見てみたい気がする。
監督の木下恵介DVDボックス全集に入って市販されているので、
いつか。
この映画で連太郎の演じた役名はズバリ「三國連太郎」という。
つまりこの役名をそのまま芸名にした。
岸田国士の原作での役名は三國(さんごく)連太郎だったが、
作者を軽井沢の家に訪ねて行った折、これを「みくに」と読む芸名が
決まったとのことだ。
本名は佐藤政雄。
息子は佐藤浩市だが、浩、市、は、大監督である稲垣浩と市川昆の名前から
一字ずつもらってつけたとのこと。
木下監督が劇団俳優座代表の千田是也氏に頼み
養成所に通い始めてから、東野英治郎、小沢栄太郎などから
個人授業のように基礎を教えてもらった。
坂東妻三郎、池辺良、宇野重吉、渥美清などの芝居を見に行ったら
皆違う。自分に吸収しようといろんな俳優をモデルにした。
1957年の「異母兄弟」では共演の田中絹代と釣り合うように
前歯の上を4本、下を6本抜いて老人役に臨んだ。
その時の年齢は34歳という若さだった。
「台本に哲学があるので、そこに接点を持って演じていかないと
役者の自負に背くような気がしたのです。自己満足と言えばそれまでですが…」
そののち・・・・・
デビューから20年くらいの間に、立て続けにたくさんの秀作、問題作に出演し
映画界で唯一無二の存在となる。
三國さんの関わった映画の監督たちは
今村昌平や小林正樹、山本薩夫、内田吐夢、吉田喜重など限りなく多数で、
主役か主要俳優としてこんなに多くの監督に使われた俳優も
いないんじゃないかと思われる。
「大いなる旅路」「飼育」「にっぽん泥棒物語」
「飢餓海峡」 「襤褸の旗」「復讐するは我にあり」「あゝ野麦峠」
などに於いては毎日映画コンクール他数々の賞の最優秀主演男優賞や
最優秀助演男優賞を受賞した。
因みにその後創設された日本アカデミー賞では
平成2年 「利休」 、平成4年「息子」、平成8年「三たびの海峡」と
三度主演男優賞を受賞。
加えて勲章も「勲四等旭日小綬賞」(平成5年)頂く!!!
1973年
独立プロの作品に多く出演していて資金が底をついた。
妻と別れ息子と生きていける金を渡して、自分ひとりアパートに移り、
もう一度自分を見つめ直すことが大事だと考えた。
「おぎゃあと生れ、両親がいなくなり、自分もいつかは死んでいく…」
「人生は砂漠に似ている」と思った。
砂漠で朽ち果て、自分の亡骸を鳥に食べさせ鳥葬で終わる作品を
作ろうと考えた。
しかしシルクロードからイランに入ろうとしたら、国境地帯は焼き払われ
撮影スタッフの命の危険をも感じ、帰国。映画は未完のままとなった。
(以下次回)
画像は「大いなる旅路」より
1960年のこの映画、
それから丁度半世紀が経過したが
ここでも老け役の三國さん
引き算をすると、なんとまだ37歳である☆
三國連太郎 「人生の贈りもの」 3
三國連太郎驚きの人生続きます。
・・・戦後の復興と共に
天性の才能が開花していく。
そこには
人の運命って
あらかじめ用意されているものなの…?
と改めて思ってしまうほどの出会いが
あったようだ。
「神社の床下から銀幕の世界へ」
戦争が終わり中国から早く復員したかった連太郎が
取った秘策は、同じ佐藤(本名)姓を持つ女性との
「偽装結婚」であった。
妻帯者は優先的に帰国できたからであり、結果は功を奏した。
しかし帰国はしたものの結局ホームレス状態に…。
なんと千葉県の八幡神社の床下に寝泊まりしていたという。
冬のさなか路頭に迷い「どうしたらいいだろう…」
と銀座の三十間堀を眺めていた時
松竹の映画制作者に声をかけられる。
思うに大正生まれの日本男子で身長181㎝は当時相当
目だったことだろう。
因みに、昨年亡くなった私の母は
大正の終わりの生まれで今では普通の160㎝だったが、
若い頃ずっとノッポと言われていたくらいである。
しかも雰囲気のあるハーフっぽいルックスで
ハングリーな眼光の青年が発していたオーラは
半端ではなかったと推測される。
然るにこの有様を一目見てしまった小出孝プロデューサーが
ドーンと引き寄せられないはずはなかったのだろう。
この小出孝と言う人は戦後映画史に刻まれる
美空ひばりの「悲しき口笛」や「東京キッド」、
黒澤明監督の「醜聞」や「白痴」などを
制作した人物である。
「メシを食べさせてやる」
温かい所で眠りたかった連太郎は小出氏について行き
松竹大船撮影所に研究生となる。
「寝るところがないのなら辻堂にいらっしゃい」
と声をかけ、この後連太郎の居候先になったのが、
当時岡田英次が出演する予定だった次の作品が
レッドパージで撮影中止になっていた
木下恵介監督である。
そして連太郎はこの映画、岸田国土原作「善魔」に
代役として抜擢されることになる。
「悪魔」の反対で「善魔」?
ユニークだが地味な題名だ・・・・・・
(以下次回)
・・・戦後の復興と共に
天性の才能が開花していく。
そこには
人の運命って
あらかじめ用意されているものなの…?
と改めて思ってしまうほどの出会いが
あったようだ。
「神社の床下から銀幕の世界へ」
戦争が終わり中国から早く復員したかった連太郎が
取った秘策は、同じ佐藤(本名)姓を持つ女性との
「偽装結婚」であった。
妻帯者は優先的に帰国できたからであり、結果は功を奏した。
しかし帰国はしたものの結局ホームレス状態に…。
なんと千葉県の八幡神社の床下に寝泊まりしていたという。
冬のさなか路頭に迷い「どうしたらいいだろう…」
と銀座の三十間堀を眺めていた時
松竹の映画制作者に声をかけられる。
思うに大正生まれの日本男子で身長181㎝は当時相当
目だったことだろう。
因みに、昨年亡くなった私の母は
大正の終わりの生まれで今では普通の160㎝だったが、
若い頃ずっとノッポと言われていたくらいである。
しかも雰囲気のあるハーフっぽいルックスで
ハングリーな眼光の青年が発していたオーラは
半端ではなかったと推測される。
然るにこの有様を一目見てしまった小出孝プロデューサーが
ドーンと引き寄せられないはずはなかったのだろう。
この小出孝と言う人は戦後映画史に刻まれる
美空ひばりの「悲しき口笛」や「東京キッド」、
黒澤明監督の「醜聞」や「白痴」などを
制作した人物である。
「メシを食べさせてやる」
温かい所で眠りたかった連太郎は小出氏について行き
松竹大船撮影所に研究生となる。
「寝るところがないのなら辻堂にいらっしゃい」
と声をかけ、この後連太郎の居候先になったのが、
当時岡田英次が出演する予定だった次の作品が
レッドパージで撮影中止になっていた
木下恵介監督である。
そして連太郎はこの映画、岸田国土原作「善魔」に
代役として抜擢されることになる。
「悪魔」の反対で「善魔」?
ユニークだが地味な題名だ・・・・・・
(以下次回)
三國連太郎 「人生の贈りもの」 2
さて、遅くなったけれど、驚きの三國さんの記事を書きます。
今日は、「命の意味」を考えるようになるまで。
「兵役を逃れる為、大陸密航企てる」
大正の終わりの少し前、後に連太郎の母となる少女は
運命に翻弄されていた。
一家は離散。原因は少女の父親の自殺だった。
少女は16歳で広島県呉市に女中奉公に出される。
しかしそこで軍人の子を身ごもる。
少女は追い出され静岡県沼津の実家に戻る。
少女は電気工事職人の男性と知り合いやがて結婚。
そして連太郎が生まれる。故に連太郎は私生児となる。
義理の父親となった男の実家は棺桶屋を営む漂泊民で、
連太郎は学友にコンプレックスを抱く。
それは後の「差別」に対する認識の原点になる。
旧制中学のとき下田港の停泊船で、密航に成功。青島に渡る。
その後釜山で弁当売りをする。日中事変が起こり、兵士たちに
弁当を運びながら忍びよる戦争に恐怖を感じる。
小金をためて帰国。下田で兵役検査の結果「合格」となる。
咄嗟に「戦争で死ぬのは嫌だと」と思った。
「大陸に行けば生きながらえる」
再び、佐賀から海峡を渡ろうと不孝をわびる手紙を母に出した。
ところが数日後、憲兵に捕まって家に連れ戻され入隊を
余儀なくされた。
義理の父は「必ず生きて帰ってこい」と言ったが、
母は「一家が生き延びるためお国の為のご奉公をしてくれ」と言った。
ーーー母は憲兵に手紙を渡していたーーー
戦地にに送られ、敵に襲われたが安全装置が外せなかった。
実弾を一発も打たなかった。
班長の「生き残るには仮病を使え」の言葉から、体温計をこすって
熱があるようにみせて陸軍病院へ送られた。
「お母ちゃん」と叫んで死んでいく兵士たち…
「何のための戦争か」疑問は増幅した。
慰問の酒を作る工場に異動とになり、やがて終戦を迎えた。
「生きて帰れる」とうれしかった。
しかし同じ連隊千人の半数以上が死んだ。
そして命について考えるようになった。
ー画像は銀幕デビューの頃の三國連太郎ー
今日は、「命の意味」を考えるようになるまで。
「兵役を逃れる為、大陸密航企てる」
大正の終わりの少し前、後に連太郎の母となる少女は
運命に翻弄されていた。
一家は離散。原因は少女の父親の自殺だった。
少女は16歳で広島県呉市に女中奉公に出される。
しかしそこで軍人の子を身ごもる。
少女は追い出され静岡県沼津の実家に戻る。
少女は電気工事職人の男性と知り合いやがて結婚。
そして連太郎が生まれる。故に連太郎は私生児となる。
義理の父親となった男の実家は棺桶屋を営む漂泊民で、
連太郎は学友にコンプレックスを抱く。
それは後の「差別」に対する認識の原点になる。
旧制中学のとき下田港の停泊船で、密航に成功。青島に渡る。
その後釜山で弁当売りをする。日中事変が起こり、兵士たちに
弁当を運びながら忍びよる戦争に恐怖を感じる。
小金をためて帰国。下田で兵役検査の結果「合格」となる。
咄嗟に「戦争で死ぬのは嫌だと」と思った。
「大陸に行けば生きながらえる」
再び、佐賀から海峡を渡ろうと不孝をわびる手紙を母に出した。
ところが数日後、憲兵に捕まって家に連れ戻され入隊を
余儀なくされた。
義理の父は「必ず生きて帰ってこい」と言ったが、
母は「一家が生き延びるためお国の為のご奉公をしてくれ」と言った。
ーーー母は憲兵に手紙を渡していたーーー
戦地にに送られ、敵に襲われたが安全装置が外せなかった。
実弾を一発も打たなかった。
班長の「生き残るには仮病を使え」の言葉から、体温計をこすって
熱があるようにみせて陸軍病院へ送られた。
「お母ちゃん」と叫んで死んでいく兵士たち…
「何のための戦争か」疑問は増幅した。
慰問の酒を作る工場に異動とになり、やがて終戦を迎えた。
「生きて帰れる」とうれしかった。
しかし同じ連隊千人の半数以上が死んだ。
そして命について考えるようになった。
ー画像は銀幕デビューの頃の三國連太郎ー
帝王はソーシャルワーカー
「帝王」
と呼ばれた男が居た。
帝王は圧倒的なヴィジュアルと
湧き出るフェロモン
そして急速度で回転する脳を駆使し
一世を風靡、
ある社会で大きな権力、支配力を持った。
彼の興味の対象はいつも
自分自身だった…
自分が大好きだった。
ところがある日ー
知り合いの女性が突然命を絶った。
帝王への狂気にも似た一途な感情は
彼女の精神のバランスを狂わせ
常道を逸した行動となって現れていた。
それを知りながら
帝王は見て見ぬふりをしていた。
帝王は他人への思いやりの
決定的な欠如に初めて気付き
心の中に吹く風の冷たさを感じ、
失ったものの大きさに愕然とした・・・・・・・
そして
帝王はやがてその地を離れた。
時は流れ…
帝王が選んだ道は社会福祉だった。
その分野での文字通りの
最重要資格である社会福祉士。
今、帝王は多くの見知らぬ他人の為に
鍛えぬいた頭脳と肉体を活かし行動を続けている。
その社会に
帝王が、その昔「帝王」であったことを
知る者は誰もいない。

と呼ばれた男が居た。
帝王は圧倒的なヴィジュアルと
湧き出るフェロモン
そして急速度で回転する脳を駆使し
一世を風靡、
ある社会で大きな権力、支配力を持った。
彼の興味の対象はいつも
自分自身だった…
自分が大好きだった。
ところがある日ー
知り合いの女性が突然命を絶った。
帝王への狂気にも似た一途な感情は
彼女の精神のバランスを狂わせ
常道を逸した行動となって現れていた。
それを知りながら
帝王は見て見ぬふりをしていた。
帝王は他人への思いやりの
決定的な欠如に初めて気付き
心の中に吹く風の冷たさを感じ、
失ったものの大きさに愕然とした・・・・・・・
そして
帝王はやがてその地を離れた。
時は流れ…
帝王が選んだ道は社会福祉だった。
その分野での文字通りの
最重要資格である社会福祉士。
今、帝王は多くの見知らぬ他人の為に
鍛えぬいた頭脳と肉体を活かし行動を続けている。
その社会に
帝王が、その昔「帝王」であったことを
知る者は誰もいない。







