『私なんて…必要ないんじゃないか…💧』
どうも、私はここに行き着くんですよね💦
完全に被害妄想で事実ではないのに(^^;
幼稚園に入る前の4歳頃までの経験で、
妹達に手を焼く母親に対してこの感情が
芽生えていたのだろうと思います(T-T)
たった1歳半ちょっとで、年子で生まれた
妹の世話で忙しい母親に対して、1歳半の
私は自宅から1キロ程離れた祖父母がいる
畑までスタスタ歩いて行こうとしていたと
母親から何度か聞いた事があります(^^;)(;^^)
おそらく、1歳半ながらにプンプン💢💢💨
して出て行ったのだろうと想像出来ます(^^)
しかも裸足で(笑)
当時は道路も舗装されておらず、車の通り
もほとんど無かったので今よりはだいぶ
安全だったと思いますが…
よっぽど悲しくて頭に来て、勝手に行動して
しまったのでしょうね(^^;
この状況を端から見たら可愛い行動にも
思えますが、当の私は相当傷付いていたの
だろうと思います。
『お母さん』
という存在の大きさは圧倒的ですね。
子供は、口にしなくてもお母さんが大好き
なんですよね。
例え憎まれ口を言ったとしても、お母さんが
家に居るだけで安心するんですよね。本当は☆
でも、長期間にわたって愛情を注いで
もらえなかったり、愛されないと感じて
しまうと、幼い子供の心が歪んでこじれて
しまうんですよね(T-T)
特に昭和生まれの方は、これが当たり前
だと思っている方も多いと思いますが、
実際は愛されたいんですよね☘️✨
その気持ちが、どこかで歪んだりして
本当の気持ちがわからなくなるまで
押し殺してしまうのだろうと思います。
幼ければ幼いほどその時の記憶が闇に葬り
去られてしまっていると思います。
でも、何かの拍子に思い出したりして、
あの時の感情が今の自分を苦しめている
んだと気付けたらラッキーですね。
常識や当たり前という、曖昧なもので
自分を縛り付けている人ほど気付けなく
なっているので、気付ける事はとても
ラッキーなんですね(^^)
自分でかけた呪縛から解放されるので✨
目が覚めるとか、ハッとするという表現
もあると思います。
話を戻して☆
このように一時的でも、長期間でも
心に靄がかかり気持ちがどんより落ち込んで
いる時でも、ほんの些細な言動で心が
救われる事があります(^^)
私は、先日4~5歳の男の子の言動で
心の曇りを一瞬で拭う経験をしました。
『私なんて…必要ないんじゃないか…』
という勝手な思い込みからやる気が起きず、
早くその場から離れたいとばかり思って
いたのですが(^^;
久しぶりに会ったその男の子が、私を見る
なりアイコンタクトを取ってきて(^^)
マスクをしたままの表情からもわかる
喜びの感情を表してくれていました。
その後、私の名前を何度も繰り返し呼んで
大きく手を振ってくれて\(^o^)/
何気ない事ですが、物凄く元気をもらい
ました。
その時に、自分で勝手に存在を拒否して
自己卑下していたと気付きました。
ただ、そこに居るだけで喜んでくれる人が
いる事がどれだけありがたい事か☘️✨
子供は無邪気で純粋なので、誰かに制止され
ようと、思いのままに行動するんですよね。
自由だとか好き勝手だとか…
あまり良い意味で表現されない事もあります
が、実際は子供のように自由に生きる事が
『羨ましくて嫉妬したり僻んでいるだけ』
なんですよね。
自由に生きる人を制限しようとするのは
自由に生きてこなかった大人なんですね。
羨望から妬みや嫉妬に変わり、自由な人を
制限しようとまでする傲慢さ…💧
これがわからない(気付けない)から、
自分の目に映るすべての物事に対して
怒りや悲しみ、批判や否定などをし続けて
苦しみ続けるんですね。
それを、外側にばかり気を取られるとか
外側にばかり意識が向いていると表現される
事なんですね。
内側の自分の気持ちを丁寧に掘り下げて
いくと、目の前の出来事で一喜一憂したり
振り回される事が少なくなると思います。
だから、内側に意識を向けるとか
外ではなく内が大切だと語られているん
ですね。
必要がなかったり気にも留めない方には
届かないメッセージなので、目にされたら
『自分の気持ちに気付く』
という事を少しでも気にされると良いと
思います☘️✨



