今日は京都で起きた、ALS殺人事件について考えてみたい。
当事者でないので詳細は分からないのですが。事実としてこれだけは言えます。
「はじめALSの患者さんに寄り添い(死)の希求を理解したが、その後に(生)に基ずき、さらにその世界で自己保存をしようとした医師2名。」
まずは患者さん側からー何時どのようにALSを発症したのか、どのようなタイプであったか,当時どのような状態であったか、一切知らない。現状はいくつかの介護サービスを利用して、かろうじて維持していたに違いない。
随意な筋肉の衰えは自覚していたに違いない。将来人工呼吸器は生命維持に必要で、介護の人手も多くなることは、解っていたに違いない。
そんな時に医師2名が現れ、状況の共用がなされた。
いわば「こんな体で生まれたのは、自分の意志ではない。このように苦痛の続く、希望もなく「生」を続けるよりも、せめて終わりの時ぐらい自由意思でありたい。ー「死」の希求ですね。
医師は苦痛を与えない安楽死の方法を知っている。対価として今あるお金で済むならば、願ったりです。そして医師はそれを実行した。
以前TVで「多系統萎縮症」(5年くらいで寝たきりになり、10年くらいで亡くなる)を発症したバリバリのキャリアーウーマンが、一定条件で安楽死が認められているスイスに渡って、実行したのを見た。よく似ています。
ところが事が発覚した後で、医師がこの世で(死はあくまで悪であり、他人の介在は認められない。)自己保存を図り、裁判沙汰になった。しかしこのままでは世論も熟成しておらず、一方的な判決になる可能性が高い。だから私は期待していない。
少なくとも議論のきっかけになれば良いのに。