私が小学生の頃、地方の国鉄在来線では、ま
だ蒸気機関車でした。トンネルに入るたび、煙
が入らないように、窓を閉めたりして、忙し
かったですね。でも汽車に乗るという趣があっ
たように思います。中学生になると電化が進
み、そのうちディーゼル機関車、や電気機関車
(いわゆる電車)が走るようになりました。単
なる移動の手段としてでしたね。早くなりまし
たが趣はなかったです。一度だけ在来線のグ
リーン車に乗った事があります。それは転校の
時です。多分会社が費用を出したんでしょう、
なにせ東海道新幹線が開通した、1964年
の東京オリンピックの時は、小学6年でした。]
市川 昆監督の東京オリンピックの映画を覚え
ています。大学になり、徐々に東海道新幹線が
伸びていき、初めは岡山までで、その次に博多
までのびました。この頃鈍行を乗り継いで京都
から東京まで行ったことがありますがしんど
かったですね。在来線の急行や特急に乗ること
もなくなりました。食堂車や駅弁がなつかしい
です。今でも博多駅発東京行きの一番電車の新
聞を、覚えています。