京都観世会4月例会 箙 熊野 須磨源氏 | 翡翠のブログ

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昨日は京都の観世会館へ4月例会を観に行きました。

京都観世会4月例会

 

演目:
(能) 箙(えびら)     樹下千慧
(狂言)栗焼        善竹隆平
(能) 熊野 村雨留   河村晴道      
(能) 須磨源氏  窕  吉浪壽晃
       

 

平家物語から「箙」は須磨の梅、「熊野(ゆや)」は清水寺の桜、源氏物語から「須磨源氏」は須磨の桜と春の花尽くしのプログラム組み立てだなあと思いながら拝見しました。

 

◆「箙」
春、西国から都に向かう僧が、須磨の生田川に着き、里人の男に梅について尋ねると、男は「箙の梅」であると答え謂れを語る。

生田での源平合戦において、源氏の武将梶原源太景季は、梅花を一枝折って箙に挿して戦った。彼は、この梅を神木として敬し、以来名将の古跡の花として、箙の梅と言われるようになったのだと。男は更に生田、一の谷、須磨の浦での源平合戦の様を語り、自分は景季の幽霊であると明かし、梅の木の下に消える。
僧が、梅花の元に伏して待つと、夢に箙に梅花を挿した若武者の姿の景季の霊が現れ、修羅道の苦しみを訴え、僧の導きを得て法味を得ようと望む。辺りは修羅の巷と化し、景季は奮戦ぶりを再現し、夜明けとともに消える。

 

初めての鑑賞。里人の前シテは直面で、若々しく姿の良い素敵な能楽師の方でした。後半では背中の箙(矢を入れる矢筒)に梅を背負って登場し、修羅の苦しみを抱えて訴えるながらも、その舞は華やかで勇ましい。最後には刀を抜き振る舞もあって、とてもカッコイイ。


◆「熊野(ゆや) 村雨留」
 平宗盛の寵姫・熊野のもとへ、故郷の遠江から朝顔が病母の便りを持参する。母の様子に熊野は母に会いたいと暇を乞うが宗盛は許さず、せめてこの春の花見を共にと命じ牛車に乗って清水寺に向かう。熊野は観世音で母の快癒を祈る。花の下で酒宴が始まり、宗盛は熊野に舞を舞わせる。にわかに村雨が降り出し、熊野は「いかにせん都の春も惜しけれど 馴れし東の花や散るらん」と歌を短冊にしたためて宗盛に差し出す。宗盛は歌を見て帰ることを許し、熊野は喜んで故郷へと急ぎ出立する。

 

初めて観る演目。「対訳でたのしむ 熊野」の解説によれば、「一見酒宴の座興としての舞のように見えるが、鬱々として楽しまない熊野が景色を眺めている、その心の中の様子を描写しているとも解釈できる」「遊女の芸尽くしの単純な曲にせず、都の春を背景に、弱者の心理的葛藤をテーマとして成功している」とあり、そう考えると複雑な深い趣が内包されている演目なのかもしれない。さらに「『秋の夕暮れ』に比される「松風」と共に「比二の体ぞ、能の本意無上なるべし」との評価を両作者の金春禅竹が「歌舞髄脳記」に残しているそう。

ただ舞の部分が長いため、他の鬘物の演目と同様、私には集中力を維持するのが難しい、途中で少し気を失ってしまった演目でした。


◆「須磨源氏 窕(くつろぎ)」
宮崎の社官藤原興範は、伊勢参宮の参詣を思い立ち向かう。途中、須磨の浦に着き、桜を眺めている老人に故ある木かと尋ねる。老人は、光源氏の須磨の住居にあった桜だと答え、光源氏の生涯を語り、自分は『源氏物語』の主人公であると言い雲に隠れる。
興範が夜すがら奇特を待っていると、音楽が聞こえ、月の光輝く須磨の浦に光源氏の霊が天下り、青海波を舞い、夜明けとともに消える。

 

須磨源氏も初めての鑑賞。今回の一番の目的で、光源氏が登場する演目を初めて観ることができました。源氏物語から作られた能の演目は多いようですが、葵上や野宮(シテは六条御息所)、半蔀や夕顔(シテは夕顔)、玉鬘、浮舟など、女君が出ても舞台に源氏は登場しないので、光源氏が登場する能は無いのかな?と思っていましたから、今回、「おお、光源氏だ、雅やかね」と、とっても興奮してワクワクで拝見しました。

 

「須磨」「明石」の章だけを題材としたのではなく、源氏の生涯が語られ源氏物語の各章の章題も織り込まれている点は、先日観た、紫式部がシテの「源氏供養」に似ているように思います。また「源氏供養」では、物語を描いた罰で紫式部が成仏できず苦しんでおり、それを供養するためにと考えられ行われていた源氏供養を基にしながらも、最終的には紫式部を観音の化現として異なる見解を与えていたのと同様に、この「須磨源氏」でも光源氏を兜率天に住み、多生衆生を救うために天から降りてきた菩薩として描いていて、当時の源氏供養の作者だけでなく登場人物も読者も罪咎のもと苦しんで供養が必要との考え方とは異なっていて、紫式部と源氏物語のファンとしては、大変面白く鑑賞できる演目でした。6月の京都薪能でも上演される演目なので見比べるのも楽しみです。

 

小書きの「窕(くつろぎ)」は、シテが早舞という舞の途中で橋掛リへ行き、暫く静止した後、再び本舞台で舞いつづけるものだそう。

 

とても暑い夏日の京都、特に観光はしていませんが観世会館近くの平安神宮だけ今月も参詣しました。門前の岡崎公園では何かイベントをしていたらしく、屋台がたくさん出てにぎやかでした。

 

 

また観世会館の2階には、今回も演目にまつわる衣装と鬘帯が展示されていました。扇面枝垂桜文様の唐織衣装は、華やかで豪華。