先週末に子どもと観た映画、1本目。ドント・ルック・アップ
ちょうど映画を見ての感想会もあったので。映画館でも、配信でも観られるというハイブリッド。
実は私は、SFと思って視聴したので、少し予想外というか、ここまでコメディ、ブラックジョーク、パロディ要素が大きいとは思っていなかったので、途中、少々ついていけない感もありました。一緒に観た次男坊は、結構面白かったとの感想。
社会批判、政治批判については、アリだと思うのです。もともと、SFというのは空想世界、フィクションの姿を借りて、現実社会を批判するものが多い、むしろそれこそがSFという面もあると思うので。
多分、私は、元々、ブラックジョークやパロディは苦手なのだと思います。真正面から真面目に批判するか、真正面からひたすらブラックジョークですませるか、どちらかでないと居心地悪い。
SNSやワイドショーを批判的に描いていた部分は、非常にうなづけるものがあり、リアルだと思いました。実際のSNSも、あんな感じで、デビデンスやデータがあっても通じない、本筋よりイメージ、面白可笑しく加工して笑う、批判する、内容そのものを吟味したり、比較検討、議論することに、SNSというものは全く向いていないのかもしれない。当初、インターネットの登場時には、そういったことができるのではという期待もあったと思うのですが、実際には、人という生き物はネットで議論するには全然向いていない、できない生き物に思えます。
ランドール博士、女性院生ケイト(ジェニファー・ローレンス)の描き方も、とてもリアルだと思ったのですが、映画の中でくらいは、昔ながらの研究バカでもいいので、これぞ教授という観たい像を観たいというか。「復活の日」で、最後の授業を配信した教授のような。そういえば最近の映画では、院生や大統領(メリル・ストリープ)らのように女性がヒステリックだったり、バカっぽかったりに描かれることもないので、そこも斬新だけれど気持ちはよくなかったのです・・・。
※ここから結末に至るネタバレ含む感想です。
最期に博士が家族に許してもらって、一緒に最後の晩餐の時間を過ごす場面は、良かったです。院生のケイトと一緒に過ごすことにしたちょっと不良な少年ユール(ティモシー・シャラメ)の描き方も良かったし、家族ではないクレイトン・テディ博士が一緒だったところが、なおさら良かった。たぶん、私も最後の時は家族と過ごしたい。
でも、そこで終わると真面目方向に降りすぎてしまうから、27000年後編や地球最後の男編がラストにあるのかな、そこを笑えばよいのかなあ、パロディって難しいな、私には。
感想会では、描かれ方がステレオタイプ、陰謀論を批判しながら結局、反対側の陰謀論になっている、コメディでなくパロディであって、そこが心に深く刺さった、いい、最後の時の食事風景は象徴的な最後の晩餐でありピュリタントな敬虔な信仰の現れを描いている、しかし本当は逆に何もすべきことをしていないと批判しているのではないか、ポストトゥルース post-truthである現実社会の反映であり、このままだとこうなってしまうという警鐘、などの感想、意見があって、なるほどとか、そういう観方がとか、それそれ、とか聞いて思えました。聞いているうちに私の中での感想評価も、まあまあから少しアップした気もします。

