読書会 ふだんづかいの倫理学 | 翡翠のブログ

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今日も猫町倶楽部のフィロソフィア、オンライン読書会でした。午前中に、実家の柴ワンコの散歩に行き、家電量販店でハンディカムビデオカメラとノートパソコンを物色して帰宅。時間まで、もう1回さらってオンライン読書会に参加。

 

課題本 平尾昌宏 ふだんづかいの倫理学

 

ギリギリまで参加は迷っていました。一つには今週に一つ、来週に一つ参加の予定の読書会があり、課題本に追われていたこと。加えて「三体」も読まねばならないし!

もう一つには、倫理学というテーマが、ちょっと苦手かな、読めるかなという思いもあって。以前に同じ著者の別の課題本での読書会に課題本は読みながら参加しなかったこともあり。

 

ただ、参加予定の二つの読書会の課題本に通じるものがあるというコメントをSNSで読み、それなら相乗効果でこれも読んでみたい気もして、迷ったあげくポチリと参加申込を。届いた本は以前の「愛とか・・・」に比べて結構ぶ厚く、ちょっと不安が。しかし読んでみると、今回の本も学生に語りかけるような文体で非常に読みやすい。課題本と課題本の間にサッと読めました。

ただ、それで理解できたか、腹に落ちたかというと、うう・・・。この本では、「正義」「自由」「愛」について、「個人」「身近な関係」「社会的関係」に分けて定義をしようとしていて、その分類にによって、それぞれの定義が、とてもわかりやすいとも思ったのですが、そうは言ってもと納得しきれない気持ちが残るのです。

 

たとえば、2章 倫理学とは何か(p.70)、押すと一億円もらえるけれど、どこか遠くで知らない人が死ぬボタンを押すかどうか、という「運命のボタン」。押したいかどうかは「心理的な原因の問題」、押して良いかは「道徳、倫理的な理由の問題」。

考えられるのは4つか、①ボタンを押し、自分の行為により誰かが死に、自分は1億円を手に入れ、自分は死なない、②ボタンを押し、自分の行為により誰かが死に、自分は1億円手に入れるけれど、誰かのボタンにより自分も死ぬ、③ボタンを押さず、1億円は手に入らず、自分の行為によっては人は死なず、自分も死なない、④ボタンを押さず、1億円は手に入らず、自分の行為によって人は死なないが、誰かのボタンにより自分は死ぬ。

面白い問題だと思うし、「押してはいけない気がする」という気持ち的な理由でなく、個人の立場から考えると結局は自分にも他人にも良くない結果になる、だから相互性という理由により「私がボタンを押すことは許されない」と道徳の基本原理から判断されるという説明もわかるのだけれど。でも実際に選択の場面になったら、③がお互いに道徳的にも実際的にもベストな選択だとしても、自分が押さなくても他に押す人が多ければ、④の確率が高くなるよね、かといって押すのを選んでも、押す人間が増えれば①の確率は増えて②は減って、それが相互になったら、場合によっては人類絶滅かと思ってしまう私は本当は倫理観が無い。普段は倫理感ある人を装っているね、私。

 

(p.112)第5章「正義を洗う」では、私自身昔から「正義は人によって違う」「正義は自分の都合」と思っていたので、「社会の秩序を保つために、釣り合いをとること」が正義の概念であり理念であるという定義、そして「人によって違う」のは個々の「正義のイメージ」であり「正義を実現するための手段・方法」というのも、とてもなるほど!でした。しかし一方で、そうは言っても、実情として定義は等しいのだと言われても、個々のイメージが異なれば、戦争や紛争の各々は自分を正義(のイメージ)と思っている部分が解消されるわけではないよねとも思ってしまったり。

 

第12章 恋愛と友情(p.188)で、「同じもの、共通なものがあるために結びついている」パターンが共同性で友情、「お互いに違っているからこそ求めあう」パターンが相補性で恋愛、という説明、定義は非常にわかりやすく面白い。愛についての章は、この本で一番面白かったです。この定義なら、恋愛を男女間に限ることもなく、友情を同性間に限ることもない。親子愛や家族愛や、コミュニティに属する者間についても考えられるし、非常に面白い定義だと思います。

しかし、16章 人生の解釈学で、愛と契約、お金と愛についての説明が腑に落ちない。「逃げるは恥だが役に立つ」のみくりと津崎君は、確かに契約雇用関係から愛に移行したけれど、では契約は愛ではないのか?。契約と愛が別だ、取り換えることのできない、かけがえのない相手と思うことが「愛」であるということに異論はないのですが、「今日は俺がおごるから、明日は君がおごって、それで五分五分」と言うカップルは水臭い(p,250)の? それは交換そのもので愛はないの?社会的な関係は愛ではないと考えるのは「愛情の搾取」につながるのではないの? と、ここらあたりは、とっても頭の中でグルグルしています。

 

あと、折角面白い本で、引用や例示も多いのだから、それを参考文献として明示してほしかった。教科書らしいのに、これには全く納得できません。文献リストのない教科書って?例えば、(p.264)に「インターネットで多くの人が参加する熟した議論が可能になるという期待もあったけれど、今のところそうなっていない」ということを、法学者サンスティーンが論じていると書かれていて、それに興味を惹かれたので読みたいと思っても、文献の紹介がない。

 

キャス サンスティーン インターネットは民主主義の敵か

 

 キャス サンスティーン #リパブリック: インターネットは民主主義になにをもたらすのか

 

かな、とは思うのですが。どちらも面白そう。しかし、そういった本文中に触れたテキストや人は、普通学生に紹介されないのか?

 

などと、あれこれ考えてしまうというのは、裏を返せば、やはり読んで面白かった本ではあります。

 

こういった話を読書会で出すためにも、もう少し事前に読みこんでおくのだったと反省します。読書会自体は非常に楽しかったし面白かったのですが。自分の中で、読んだ感想、気持ちが、参加までの間に言語化できないまま参加してしまったことで、単に主観的気持ちを述べるだけになってしまった。参加後、こうやって読み返して考えて、まとめると言いたいこと、聴きたいこと、納得しきれていないこと、疑問なことが言語かできた。これを参加までにしておくべきだったと反省して悔やんでいます。

参加されていた参加者の一人の方が、今日以外にも複数の回に参加しておられ、なんでも、一番最初に会に参加した時に十分読みこめていなくて、グループでの意見交換についていけず、非常に後悔したのだそう。オンラインだと、十分に自分が理解し咀嚼していないと、一層参加するだけになってしまうと痛感して、以降の会では、読みこんで参加していると話しておられて、それで一層、自分に不足していたものに思い至りました。残念、次回はもっと読み込んで読書会に参加しよう。