源氏物語 二十五帖 蛍 | 翡翠のブログ

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源氏物語 二十五帖 蛍

 

この帖でも光源氏は、玉鬘への恋心を抑えがたく玉鬘に迫ったリしていながら、一方で玉鬘へ恋文を贈ってくる男達のことで玉鬘に指導をしたり、様子を楽しんだりもしています。玉鬘に熱烈に求愛している蛍兵部卿宮を玉鬘の近くに招きいれ、そこに捉えておいた蛍を放し、玉鬘の姿を蛍の光の薄明かりに浮かび上がらせ、蛍兵部卿宮を喜ばせ、一層深く恋させます。この場面、絵になるでしょうね。

 

こういったことを通してか、玉鬘の源氏への想いに変化が。

「尽きせず若くきよげに見えたまふ。艶も色もこぼるばかりなる御衣に直衣はかなく重なれるあはひも、いづこに加はれるきよらにかあらむ、この世の人の染め出だしたると見えず、常の色もかへぬあやめも、今日はめづらかに、をかしくおぼゆる薫りなども思ふことなくは、をかしかりぬべき御ありさまかなと姫君思す。」と久しぶりに光源氏の様子の美しさ、素晴らしさがこってり描写され、玉鬘も光源氏を心底嫌がっているわけではない、それどころか惹かれている様子。

 

「親などに知られたてまつり、世の人めきたるさまにて、かやうなる御心ばへならましかば、などかはいと似げなくもあらまし」(親などに知っていただき、世間並みの身の上となって、このような(源氏の)お心づかいをお受けするのだったら、何もそれほど不似合いなっことでもなかろう)などと、親に認知されて世間並みの後ろ盾がありさえすれば、私だって!、自分は不似合いではないと自己評価もしているよう。

 

この帖は以前に円地訳で初めて読んだ時の印象では蛍兵部卿の宮のエピソードのみ頭に残っていたのですが、今回読み返すと、後半の源氏の物語観を面白く読みました。

「世に経る人のありさまの、見るにも飽かず聞くにもあまることを、後の世にも言ひ伝へさせまほしきふしぶしを、心に籠めがたくて言ひおきはじめたるなり」から始まる物語とは何かという言葉は、物語の登場人物である光源氏の口を借りて作者自身の考える物語観を語らせているように思えます。以前に夕霧に高い地位をむやみに与えず学問を身に付けさせると学問語った時にもそうでしたが、紫式部の意見、思いが源氏によって語られているように思います。

 

一方で、その後、紫の上の元に戻った際には、「姫君の御前にて、この世馴れたる物語など読み聞かせたまひそ」((明石の)姫君の前で、色恋沙汰の物語などは読み聞かせないように」と教育パパぶりを発揮し、軽率に色恋沙汰をまねてはいけないとか、反対に女らしくない宇津保物語もダメだとか細かい。さらに、紫の上と姫との関係を否定するような継母ものもよけて、厳選しているところがおかしいです。