源氏物語 二十一帖 少女 | 翡翠のブログ

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台風二十一号が過ぎて、家の周りを見回りました。非常にありがたいことにせいぜい庭の樹木がかしいだくらい。通り道に枝が出てしまって通りにくくなった部分の枝を切り、飛んできていたゴミと一緒に処分しました。新聞やニュースを見ると近辺でも、飛来物でガラスが割れたり、信号や街路樹が曲がったり折れたり、停電も朝の時点で続いていた地区もあったようなので、この程度で済んだのは本当にありがたい。でもそれは備えによるものでは全然なくて、偶然の幸運にすぎないので、今後の対策について備えを考えなくてはと思っています。

 

先日の姫路・岡山旅行の移動や昨日の急な休みを利用して読んだ源氏物語、二十一帖 少女。

 

この帖では、そろそろ源氏の次世代も描かれています。光源氏と故葵上の間に生まれた夕霧が十二歳になり、少し早い元服を迎えます。本来親の地位から従四位下の官位が最初から与えられてもおかしくないほどであるのに、源氏の教育方針から六位に叙せられ、浅葱色の袍を着ることになります。また大学に入り学問をすることにもなります。源氏の「本人に実力のないまま親の力で官位を得ると、本人が努力せず、将来子孫の代になって開きが大きくなる」「時勢が移り変わったころ運勢が落ち目になり軽蔑される」「将来国の柱となるためには、回り道をしても学問をしておくべき」というのは、なかなか立派な教育方針だと思います。紫式部の時代にはやはり親の身分次第で、学問によって出世は難しく、実際に紫式部の父親も大学出ながら出世は遅かったそうなので、紫式部の願望もあったのではとの解説もありました。

 

夕霧は、母葵の上の兄弟である頭中将の娘で、一緒に大宮の元で育った幼馴染の雲居の雁と思いあっています。ところがそれが中将にばれ、雲居の雁を春宮妃にと考えていた中将の怒りをかい、引き離されることになります。その際、雲居の雁の女房から「六位ふぜいが」との言葉を受けてショックを受けます。この辺り、二人の恋模様が可愛らしく可哀想で、可愛い・・・。

 

のですが、雲居の雁に会えないでいる夕霧、五節の儀で舞姫に選ばれて二条院に来ていた惟光の娘を見かけて、早速懸想の和歌を送ります。

「あめにますとよをかひめの宮人もわが心ざすしめを忘るな みづがきの」(天にまします豊岡姫にお仕えする雅とのあなたも、私が思いをかけて注連を張り、自分のものと思っていることを忘れないでください 瑞垣の久しい昔から思いをかけていたのです)

今見たばかりの初めて垣間見た女性に送るのに、何を言っているんだか、と。源氏もいつも口から出まかせ、ぺらぺらと上手いことを歌で送っていたので、これが正しい様式美なのかもしれませんが。

 

それにしても、帖の題名「少女」はてっきり雲居の雁のことを指しているのかと思っていたのですが、どうやら源氏が筑紫の五節の舞姫に贈った歌と夕霧が惟光の娘の舞姫に贈った歌から取られているらしい。

 

この帖で光源氏は六条院を建てます。方四町252m四方63500㎡の広大な土地に四つの町を配置。春の町(南東)には紅梅、桜、藤、山吹、岩ツツジなどが植えられ、紫の上と明石の姫君が住み、こちらが源氏が住むところ。秋の町(南西)は六条御息所の邸宅跡で、紅葉、萩、女郎花、桔梗などが植えられ秋好中宮(梅壺女御 故六条御息所の娘 前斎宮)が宿下がりしたときの実家になります。花散里が住む夏の町(北東)には呉竹、卯の花、花橘、撫子、薔薇、くたにが植えられ泉が湧き菖蒲がしげります。冬の町(北西)には松が植えられ明石の君が住むことになります。

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こんな感じだろうか、先日の姫路の好古園のお庭の池で想像したり。

 

移ったのは秋のころなので、秋の町はこんなかも。春も夏も秋も冬もそれぞれに美しいでしょうねえ。

 

この辺りの描写、昔初めて円地文子訳で源氏物語を読んだ時にもすごく好きだったところで、庭の景色をあれこれ思い浮かべたものです。ただし、好きだったのはあくまで庭の情景で、妻たちを一所に集めて・・・という部分は決して好きなわけではありませんけれど。樹々と水で彩られた庭は昔からの憧れです。