リチャード・ドーキンス 「利己的な遺伝子(The Selfish Gene) 」1976 紀伊国屋書店。
タイトルだけは知っていましたが、読む機会の無かった本。本編が416ページ、加えて補注が92ページのずっしり重いハードカバー。ただし想定読者は専門家ではないようで、本編の多くの部分はわかりやすく読みやすかった。ただ、比喩表現が多く、特に人間のように比喩している部分が多いので、読みやすや故に逆に読み誤るかもという感じでした。そもそもタイトルもあおっている感じだし。
(→補注(p.418)「遺伝子「決定」を最終的なもの、つまり絶対的で不可逆的なものと考えたなら、誤りに落ち込んでしまう。
実際には、遺伝子は統計学的な意味でのみ行動を「決定する」。遺伝子を何事かを動かしがたく決定するものとみなすべきではない。」とありますが、ついそう思ってしまいそう)
進化に関わる単位を種でも群れでも個体でもなく、「自然選択の実質的な単位が遺伝子である」とするのが特徴だそう。
「われわれは生存機械(survival machine)-遺伝子という名の利己的な分子を保存するべく盲目的にプログラムされたロボット機械なのだ。」
「生物は遺伝子によって利用される"乗り物"に過ぎない」
というのは、一読するとギョッと感じます。でも、読み進めてみると、「自己複製する実体の生存率の差によって全ての生命は進化する」という原則をしいて、人間を含む生物のふるまいについて、自己複製子(レプリケーター)としての遺伝子の特性によるものとして考えると、整合性のある説明が成り立ち面白かった。
この「生物は遺伝子が拠る"乗り物"(比喩)、現れる行動は一見利他的に見えても、自己複製を目的とした(遺伝子レベルでの)利己的行為いう考え」については、1~12章で非常に納得でき、「なるほど!!」と目からうろこで楽しめました。
たとえば、「5章 攻撃」。
同種は争い相手でもある→生存機械にとってライバルを殺し捕食するのがベスト?→実際には通常はそうしないことについて、「進化的に安定な戦略(ESS:evolutionarily stable strategy:個体群の大部分のメンバーが採用すると、別の代替戦略によってとって代わられることのない戦略)によって、個体間の争いを利害の衝突と考え、ESSでない共食い戦略は不安定だからと説明する。
特に読んでいて面白かったのは、7章家族計画、8章世代間の争い、9章雄と雌の争い。数値化して定量的に表して比較するとなるほどと思わされる。
「なぜ人は(時に、他の生き物も)自分を犠牲にして他者を救うのか?利他的行動を取るのか?」、これを利己主義対利他主義で考えるのではなく、利己主義だからこそ、利己的な得を目的とした一見利他的な行動を取るという個々の事例についての説明が、謎解きをしてくれる探偵のような論理展開で、驚きの納得さでグイグイ読めました。
「7章 家族計画」では、近しい身内-血縁者が遺伝子を分け合う確率が第三者より高いことで、兄弟を、親が子を利他的に助けることを説明したり。
家族計画においては、「新たな個体を生み出すこと=子作り(child-bearing)」と「現存個体に保護を加えること=子育て(child-caring)」とのバランスが収支勘定として、無意識に戦略的決断されているというのも面白い。
「8章 世代間の争い」においては、家族内部における利害の衝突を検討対象として、「自分の子どもを全て公平に扱うのは母親にとって常に有利か?ひいきの子どもを作るべきか?すべての子どもの等しく利他的にふるまうべきか?」を、「親による保護投資(p・I)」によって測る。この保護投資というのは、親の投資により、子どもの生存確率(それゆえ繁殖の成功確率)を増加させ、一方で他の兄弟の死亡確率の増加で測られるというのだからシビア。
「9章 雄と雌の争い」では、特に両者の子どもの生存という共通の目的はありつつ、利害の対立するものとして雄雌を論じ、その駆け引きが理論化されていて特に面白い
互いに血縁関係のない配偶者間の争いは?⇒同じ子どもたちに対し、互いに同じ50%の遺伝子を投資している。⇒配偶者は相手にもっと多量の投資を強制しようと、互いに搾取しあうはずというのです。これに対するための、両者の戦略として雄雌の性細胞の大きさ、特性の違いが説明されるのが面白い。
「(p.222)雌は始めから多量の投資を行っており、当の子どもが死んだ場合、将来新たな子どもを育てる場合、いずれも雄より投資量が多い。子を捨てた場合の損失も雌の方が大」であるため、雄はなるべく自分の損失は少ないままで、多くの投資をしたい。それに対して雌側は、
戦略1→子を捨て新しいメスを求めるのが損失となるよう、事前投資を求める(巣作り、給餌)
戦略2→父親の援助をあきらめ、良い遺伝子を得る。たくましい雄を選ぶ戦略。
という作戦をとり、また雌の方が損失が大きくなる可能性があるため、配偶者の選択には慎重、と。笑えるような泣けるような。
また、「12章 気のいい奴が一番になる」も、事例が多く面白かった。「囚人のジレンマ」はゲーム理論として知ってはいたのですが、こうやって説明に使われると、おお!と納得。
第一次世界大戦中の「われも生きる、彼も生かせ」方式、非公式で暗黙の不可侵協定「やられたらやりかえす協定」などのエピソードは短編小説になりそう。
一方で、「11章 ミーム 新登場の自己複製子」の辺りは、読んでもどうもしっくりしないというか、なじまないというか。
「非遺伝子的手段による進化速度は、遺伝子的進化より格段に速い」ことから、人間の特異的進化として「文化的突然変異」を考え、「(p.295)現代人の進化を理解するためには、進化を考える際に遺伝子だけを唯一の基礎とみなす立場を放棄」するという。そして、
(p.296)DNAとは別種の新種自己複製子として、人間の文化、文化伝達、模倣の単位となる「ミーム」を導入するのだという。ミームとは、旋律、概念、キャッチフレーズ、ファッション、壺の作り方、建造法、死後の信仰、神という概念などもあてはまるのだそう。この「ミーム」という概念も、ドーキンスの業績の一つだそうですが、今一つ前章までとのつながりが、唐突に感じました。
さらにもう一つ、「13章 遺伝子の長い腕」は、まだ十分理解できない。わからないところリストを作ったら、ずらーっと長くなった。これは後に表された後著「延長された表現型」に詳しく述べられている内容のエッセンスを、第二版から付け加えた章だそうなので、そもそもは該当書を本来読むべきなのかも。
全体を読んでみて思った疑問があるのですが、数学のように公理から証明するのではなく、物理や化学の実験結果から考察するのでもない、こういった分野の科学は、仮説を立てて観察される事象が上手く説明された場合、仮説が正しい可能性はあると思うのですが、それは何をもって「確実に」正しいとなるのだろうか?
社会科学でもそうだと思うのですが。考えられる場合が全て上手く説明がついたとき?でも網羅しきれていない他の場合がある可能性を否定しきれないようにも思うので、どこの時点で確実となるのだろう?
その意味で、今後の発見、考察などで、より確証が高まったリ、別の意見が生まれたり、反論されることもあるかもしれませんが、読んでワクワクが楽しめる楽しい読書体験でした。
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