市川海老蔵 源氏物語 | 翡翠のブログ

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今日は、「市川海老蔵特別公演 源氏物語 第二章~朧月夜より須磨・明石まで~」を観に行って来ました。

 

第一章にあたる前回を観に行ったのは一年半前、源氏の誕生から藤壺との恋、そして藤壺の懐妊と藤壺との別れまでと、夕顔との恋と六条御息所の念による夕顔の死までが描かれていました。

 

源氏物語は歌舞伎でもよく上演され、市川海老蔵さんの祖父、父様も、海老蔵さんご本人も光るの君を何度も演じている演目なのだそう。それを、このシリーズでは、歌舞伎だけでなくオペラ、能楽とも融合させた試みを行っていらっしゃいます。

 

一幕、朧月夜との逢瀬の露見による官職辞職と須磨行きは、単に新帝の朱雀の帝が后にと望んでいた右大臣の娘六の君(朧月夜の君)をかっさらってしまったのを、右大臣&弘徽殿の女御側が、彼女が誰か知っていてのことだろう、さらには謀反の心ありとまで言い立てて、体よく目の上のたんこぶと源氏を失脚させたようとしたわけですよね。

 

私の源氏物語の教科書(笑)「あさきゆめみし」で読んだ時には、源氏がもっと骨太というかしたたかな感じがしたのですが、海老蔵さんの演じる今シリーズの源氏は、源氏の「心の闇」「満たされない心」に焦点を当てているので、運命に翻弄される源氏の父親である桐壺帝への罪の呵責が大きく感じられ、哀しみが伝わって美しかったです。

 

この第一幕の逢瀬とその露見の場面は、セリフと通常の演技でなく、舞で表現されていたので抽象度が高くて、あらかじめストーリー展開をわかっていないと、よくはわかりにくいかも。近くにいた男性が幕間の休憩時に「わからん・・・」と言っていました。

オペラや能で、予習の有用性が身に染みていた私は、上演前にプログラムのあらすじを読んでおいたので大丈夫。ただ朧月夜の君が思っていたよりおとなしい感じもしました。つい、頭の中で「あさきゆめみし」を再生してしまうので、その漫画中のキャラクターの性格の先入観に私が引っ張られ過ぎているのかもしれません。でも、やっぱり朧月夜の君はもう少し、生き生きした強い女性でいてほしいな。

 

 

二幕の前半、能との融合部分は圧巻でした。能で舞われる竜神と桐壺帝は、静かながらも威厳があってカッコ良く見惚れました。能の囃子は、やはりJazzのライブのようにカッコよくノリノリですし。そしてもちろん、海老蔵さんが演じる歌舞伎での源氏の化身の竜神の舞もまた、力強く粋でカッコよい。もっと語彙が豊かだったら別の表現もできるのに、カッコいいとしか言えない自分が口惜しいです。

 

この二章部分の続きもまた面白い場面があるはず。准太上天皇の地位まで上り詰める栄華から、また藤壺に似ているかもと女三宮を正室に迎えて紫の上を苦しませ、柏木の密通をまねいて、かって自分が父親にしてしまったことを今度は受ける立場になる。さらに、一番大切なはずの紫の上を遂には苦しみと悲しみを負わせたまま失うことになってしまう。この源氏と紫の上を観たいです。第三章もぜひ作ってほしいです!


今回もまた、プログラムを購入したのですが、これがまたとっても面白かった。先にも書いたあらすじの確認だけでなく。

能楽師の片山九郎右衛門さんのインタビュー、面白かったです。能とちがって上演の最中で拍手がおこってとまどうとか(そういえば能は拍手がないなあ、いつもしたくなって、うっかりしそうになります)。

能の公演は1回公演なので、今回のように長期間同じ演目を続けると、だれてしまうのではと不安を感じるとか(なるほど!)。そのため、「緊張感を保つため、少しだけ自由にできる部分を残しておいて、その時々でちょっと違うことをやってみたり」されているのだそう!(それは面白い、何度も観たくなっちゃうじゃないですか)。

加えて、これに対する編集部注で、他の共演者の方々が、この小さなハプニングに毎回驚いていたとか!そうかー!、なんだかJazzのセッション、フリージャズに通じる物がある気がします。

今回の舞台は、能楽の「須磨源氏」をもとに演出されているのだそうで、その能の筋が漫画で紹介されていました。能版源氏物語も観てみたいなあ。