おはようございます![]()
AIさん
と『中世ヨーロッパの時代の絵はなぜ下手くそなのか』について話していたんです。
中世時代の絵画↓
頭ぶっさされても笑顔 みんな頬が赤くて元気そう
劇の背景の船に乗ってる人みたい、2次元すぎる
やる気が感じられない
最初AIさんは「下手じゃない」っていうんですよ
ローマ時代にあんなに素敵な彫刻がいくつも作れたのに
私は納得せんよ!と、ああだこうだAIさんと話して結果は
古代ローマ時代には、彫刻だけでなく絵画にも「写実」の技術がありました。
それが中世に入ると、信仰上の目的の変化と、古代の技術や工房の継承の(大きな戦争などで)途切れによって、いったん別の方向へ進んだ、ということになります。
ですので、「中世は下手になった」という実感は、あながち間違いではありません。
ただ、「下手」というより「写実を目指さなくなった時代だった」と見ると、納得しやすいかもしれません。
ということで、落ち着きました。
それで私が
「え?ローマ時代の絵画も残っているのですか?」と聞くと壁画は1部残っているとのこと。
その当時から、完璧ではないけれど「遠近法」も使われていたとのこと。【中世では消えてしまって平面になる】
さらに「ミイラ肖像画」もローマ時代のエジプトでたくさん残っていますよとのこと
「
ミイラ肖像画って初めて聞いた
」と言うと
ファイユームのミイラ肖像画は、紀元1世紀ごろから3世紀ごろまで、ローマ帝国がエジプトを支配していた時代に描かれました。
名前の「ファイユーム」は、多くが出土したエジプトのファイユーム地方(カイロの南西にあるオアシス地帯)に由来します。
◆なぜ描かれたのか
エジプトには古くからミイラを作る習慣がありましたが、ローマ支配下では、そこにギリシャ・ローマ風の写実的な肖像画が加わりました。
生前(あるいは亡くなった直後)の姿を板に描き、ミイラの顔の部分に巻き込んで一緒に葬ったのです。
エジプトの死後の世界観と、ローマ風の肖像の文化が合わさったものと言えます。
◆技法
薄い木の板に描いたものが多い
蜜蝋に顔料を混ぜて描くもの、またはテンペラ(卵などを使う絵具)のもので
目が大きく、まっすぐこちらを見つめる証明写真的な構図が特徴的
◆なぜ今も鮮やかなのか
エジプトの乾燥した気候と、墓の中で守られていたことが大きいと思われます。
ポンペイの壁画が火山灰に守られたのと同じように、「残りやすい条件」に恵まれたのです。
ミイラになって埋葬され、似顔絵をつけてもらっていると言うことは貴族王族だったのですか?
いいえ、王族や最上位の貴族だけではありません。ファイユームの肖像画の持ち主は、ある程度裕福な中間層の人々だったと考えられています。
◆どんな人たちだったか
ローマ支配下のエジプトでは、ギリシャ系の住民や、ギリシャ・ローマの文化を身につけたエジプト人の都市住民が、社会の上のほうの層をつくっていました。
肖像画の人物は、そうした地方都市の役人、商人、軍人、神官、地主やその家族などだったと見られています。
肖像画が「生前に描かれたのか、亡くなってから描かれたのか」は、研究者の間でも議論があります。
生前に描いたものを家に飾っておき、亡くなったときにミイラに付けたという説もありますが、すべてがそうだったとは言えず、はっきりしていません。
ということで、お待たせしました、ミイラ肖像画です
こんな感じでミイラの顔の部分に巻いてあったそう。
写実的で美しい絵ですよね。
肌の色もいろいろ、髪も縮れている人も、そうでない人もいて
地中海のいろいろな民族が一緒に暮らしていたんだな~と思いました。
女性は綺麗なアクセサリーを身につけていて、美しいですよね。
皆さんはミイラ肖像画を見て、どう思いましたか?










