おはようございます![]()
昨日、朝7時にローラの散歩から帰ってきて、私は汗だくで
室温をみたら28.3度 湿度56%
何度になったらエアコンを付けたらいいのかな~
と思って
AIさんに室温を写真に撮って見せて聞いてみたら
『ただちにエアコンをつけてください!!
』って
怒られちゃいました![]()
室温も湿度もエアコンを付ける基準値を超しています!!だって
だめですねぇ、やっぱり年取ると、私は外に出てて汗をかいたけど
あまり家の中が暑いと思わなかったけど
これだと犬猫もろとも熱中症になってしまう可能性があるのですね。
(ローラちゃんの部屋だけは26度設定にしています)
大阪は風が吹いても夏は熱風だし、お昼になる前に、付けておいた方がよさそうですね。今朝は早めにつけました。
「一蓮托生」って蓮の花が入ってるでしょう?
どうして入っているのか、AIさんに聞いてみました。
「一蓮托生(いちれんたくしょう)」とは、結果がどうなろうと、最後まで行動や運命を共にすることです。
元々は仏教用語で、死後に極楽浄土の同じ蓮(はす)の花の上に生まれ変わるという信仰に由来します。
現代ではビジネスや恋愛などで「運命共同体」の意味として使われます。
この四字熟語の詳しい意味や由来、正しい使い方のポイントは以下の通りです。
1. 語源と本来の意味
仏教(浄土宗系)では、信仰を持つ者は死後に極楽浄土へ行き、同じ蓮の華の上に生まれ変わって身を託す(身を寄せる)とされています。
このことから、現世だけでなく来世でも一緒になるという深い結びつきを表す言葉として使われていました。
2. 現代での使い方
現代では宗教的な意味を離れ、結果の良し悪しに関わらず、仲間やパートナーと「運命をともにする」「最後まで行動を共にする」という強い覚悟や絆を表現する際に用いられます。
同じ蓮の上って・・夫婦や親子の事を指すのですか?
「一蓮托生」の本来の仏教的な意味において、これは夫婦や親子だけを指す言葉ではありません。
仏教(特に浄土信仰)の教えでは、血縁関係や婚姻関係に関わらず、同じ信仰を持つ人であれば誰でも死後に極楽浄土の同じ蓮華の上に生まれ変われるとされています。この言葉の対象や歴史的な背景のポイントは以下の通りです。
1. 仏教本来の対象:すべての信仰者関係性を問わない: 師匠と弟子、友人同士、あるいは見ず知らずの信者同士であっても、同じ教えを信じる者(同行・同朋)であれば、みんなで同じ蓮の上に生まれ変わると説かれました。
2. 時代による変化:夫婦の強い結びつきへ江戸時代以降の俗称: 時代が下るにつれて、この言葉は世俗の間で「現世だけでなく来世まで一緒にいよう」という夫婦の固い契り(心中や情死の際の覚悟など)を表現する言葉として強く使われるようになりました。
「極楽浄土に往生した者はみな、同じ蓮華の上に生まれ変わる」という意味を持つ仏教用語...なるほど浄土信仰の中のお話なのですね。
私の勝手なイメージだと巨大な蓮の花の上にとんでもなく沢山の人がぎゅうぎゅうでいるって事です・・かね?
そのユニークで微笑ましいイメージ、とてもよく分かります!
しかし、浄土信仰の教えにおける実際のシステムは、実は「1人につき1輪(またはペアで1輪)」が基本なので、満員電車のようにぎゅうぎゅうに詰め込まれているわけではありません。
極楽浄土の蓮の花がどのような仕組みになっているのか、仏教のディープで面白い設定を3つのポイントで解説します。
1. 念仏を唱えると「自分専用の蓮」がスタンバイする
浄土信仰の教えでは、私たちがこの世界で「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えると、その瞬間に遠く離れた極楽浄土の池にあなた専用の蓮のつぼみが1つパッと誕生するとされています。
人が亡くなると、その魂はそのつぼみの中にワープし、花が開くと同時に清らかな姿(仏に近い存在)として生まれ変わります。
これを「化生(けしょう)」と呼びます。
2. 「同じ蓮の上」は、法然上人の粋な励まし
では、なぜ「一蓮托生」という言葉が生まれたのでしょうか。
それは、浄土宗の開祖である法然(ほうねん)上人が、弟子や信者との別れ際に放った名言が由来とされています。
「現世では離れ離れになって悲しいけれど、同じ教えを信じる私たちだ。
死んだあとは、極楽にある同じ一つの蓮の台(うてな)の上でまた会おうね」
このように、寂しがる弟子を元気づけるための「約束の場所」として、同じ蓮の上という表現が使われました。
3. スケール感がとんでもなく巨大
ちなみに、極楽浄土にある蓮の池(七宝池)や蓮の花は、私たちの知る植物のサイズとは桁が違います。
仏教の経典によると、蓮の花1つの大きさが「直径数百キロメートル〜地球サイズ」という途方もないスケールで描かれています。
ですので、もし仮に何人かで同じ蓮の上に座ったとしても、ぎゅうぎゅう詰めで苦しいということは全くなく、むしろ「超広大な高級ラウンジのソファでゆったり再会を喜んでいる」ような、非常にラグジュアリーで穏やかな空間となっています。
想像するとおもしろ~い、考えた法然上人すごいなぁ。
たまには自分家の宗派と違う宗派のお話しを聞くのも楽しいですね。

