おはようございます太陽

 

先日記事にした又吉さんのyoutubeの中で、「元の木阿弥」の由来の話がありました。

ニヒヒ木阿弥なんて言うんだから、仏教用語なんでしょ?

と思ってたんですが、これが大違い、今の大河ドラマの頃のお話しが発祥でした。

 

カブト由 来カブト
戦国時代、大和の筒井順昭(つつい じゅんしょう)という武将が病に倒れ、若き世継ぎ・順慶がまだ幼かったため、「主君の死」を周囲に隠す必要が生じました。


そこで白羽の矢が立ったのが、木阿弥というが順昭に似ていた盲目の男

彼は主君の身代わりとして輿に乗せられ、戦場や家臣たちの前で「殿のご様子」を演じ続けました。


順慶が無事に成長して家督を継ぐと、木阿弥の役目は終わり——

彼はまた以前と同じ、何者でもない身分に戻されました。(座頭だったとのこと)

 


この「一時は殿様扱いの身分になったのに、もとの木阿弥(木阿弥という一般人)に戻ってしまった」という故事から、

せっかく良くなった状態が、また元の状態に逆戻りしてしまうこと

を指す言葉として定着したわけです。

 

大河のキャストに筒井順慶が載っております↓

デレデレ個人的に興味深いのは、木阿弥自身は「戻った」だけで実害はないはずなのに、この言葉が持つニュアンスには明確に落胆・残念感が漂っているところ。

 

「元に戻る」という事実が、あの時代の身分と栄枯のドラマを背負って、こんなに情感のある慣用句になったんだと知りました。

 

何となく仏教物語かと思ったら戦国時代と言う、仏教からしたら新しいお話でびっくりしました。


ニヤニヤところで筒井家はその後どうなったんでしょう?
戦国時代といえば、大和の国は秀吉の弟(秀長)が統治しましたよね?

 

AIさんに聞いてみました。

 

地球筒井家のその後(筒井家と秀長の関係)
戦国時代、大和の国には「筒井家」という国衆(こくしゅ)がいました。
筒井順昭・順慶の代には、奈良盆地の北部を中心に勢力を持ち、郡山周辺を本拠としていました。

やがて織田信長の時代になると、順慶は 信長の家臣であり、秀吉の実弟でもある豊臣秀長 に従う道を選びます。

 秀長は後に大和一国を任され、郡山城を大規模に整備して大和支配の中心としました。

ここで少しややこしいのですが——
同じ郡山を本拠としながらも、筒井家と秀長では立場がまったく違っていました。

筒井家:大和北部を治める“地元の国衆”

秀長:大和一国を任された“豊臣政権の大名”

つまり、地理的には重なる部分があっても、
政治的には「秀長の配下に組み込まれた筒井家」という構図になります。

順慶の死後、甥の定次が家督を継ぎますが、豊臣政権の中では「旧筒井領の管理者」のような立場でした。
 

その後「関ヶ原」では東軍につき所領を保ちますが、その後、家中の不祥事が幕府に問題視され、慶長13年(1608年)に改易(領地・家臣・身分をすべて取り上げられること)。
ここで筒井家は大名としての歴史を終えます。

大和の地はその後、藤堂高虎の支配へと移っていきました。

 

真顔せっかく影武者まで仕立てたのに最後は改易ですか・・・

戦国時代は藤堂高虎も含め、あっちについたりこっちについたり

みんな命がけだったのですね。