おはようございます雲
 

ETV特集(Eテレ)
『のびのびと 思いのままに -子どもたちが描いた100年』を録画して見たんですよ

 

何度も書いてますが、私は子供の作品を見るのが大好きなんです。(絵も文章も)

そんな軽い気持ちで見たら、とても深い番組だったのでご紹介します。

 

くまアイス番組案内は
千葉県にある八幡学園は昭和初期に設立された障害児入所施設。知的障害児たちの教育や自立支援に取り組んできた。

 

100年近く続いているのが、貼り絵などの造形教室。

 

戦前に入所した子どもたちは、手先の訓練も兼ねて美術の教育に取り組み、専門家も驚く多彩で個性豊かな作品の数々を残してきた。

 

貼り絵の天才・山下清や同時代を過ごした子どもたちの作品を読み解き、それぞれの可能性を先生たちがどう引き出したのかを見つめる。

学園にいた頃の山下清の貼り絵作品「八幡学園の運動会」

 

真顔千葉県市川市の八幡学園で、知的障害のある子どもたちが約100年にわたり続けてきた「のびのびとした美術表現」をたどるドキュメンタリーです。


 山下清が貼り絵の才能を開花させた場所としても知られ、学園には子どもたちの自由で力強い作品が数多く残っています。


創設者の理念「踏むな 育てよ 水そそげ」のもと、子どもを押さえつけず、その子のままの表現を大切にする教育が続けられてきました。

 

戦前から現代までの作品を紹介しながら、「障害のある子どもたちが、自由な表現の場で生み出してきた100年のアートの歴史をたどる番組」でした。

 

-クレパス画の異才 石川 謙二
(大正15年(1926)~昭和27年(1952) 享年26)


「メリーゴーラウンド」(クレパス画)石川 謙二 12歳 昭和13年(1938)作

 

石川 謙二は11歳の時、八幡学園に入園。

虚弱体質で、入園までは、浅草を中心に浮浪生活を送っていました。
言葉はなく、数概念は皆無の重度知的障害児でした。


入園して2年目(13歳)から、大判画用紙に猛然とクレパスで絵を描き始め、かつて自分の住んでいた浅草の情景を再現していきました。


浅草公園の子であり、街頭の浮浪児であった謙二君の絵は常に人物が描き込まれる人臭い表現。黙々と描きためた点数は山下清を凌ぐほどの量にのぼっています。


クレパス画、水彩画、ちぎり絵など百数十点の作品を残し、昭和27年(1952)、26歳で生涯を終えました。

 

石川 謙二  13歳 昭和14年(1939)作「おわかれ」 クレパス画

 


-原始芸術の風格 沼 祐一
 (大正14年(1925)~昭和18年(1943)  享年18)
 

 『どうぶつ』(貼絵)沼 祐一  15歳 昭和15年(1940)作

 

沼 祐一は10歳の時、八幡学園に入園。
祐一君は、当時の児童虐待防止法によって学園に送られてきました。

重度の知的障害で、衣服を裂いたり、ボタンを引きちぎったり、無意味な語を連発したりしました。

 

入園当時この祐一君に絵が描けるなどとは誰も想像しませんでした。
その野生ぶりは依然変化しないが、クレヨンや色紙をちぎって絵を描くのです。


彼の絵には原始芸術の風格があり、ある意味では山下清君以上のその何倍かも不可思議であり、奇跡的でもあります。  
祐一君は昭和18年(1943)、18歳でこの世を去りました。

 

真顔番組中に画家の北川民次が石川 謙二作の「おわかれ」を絶賛していました。
調べてみると朝日新聞の美術コラムがはっきりとこう述べています


『メキシコで壁画運動に関わった洋画家・北川民次が、山下清よりも高く評価したのが石川謙二である。「そのタレントがうらやましい」と称賛した』
番組内でも、石川謙二の「おわかれ」の色彩や構図の力強さを語る場面があり、とんでもない作品と語っていました。

 

他にもいろいろな作品が紹介されました。

現在も八幡学園は活動しています。(千葉県)

そして学園標語は今も創設者である故久保寺保久氏の言葉「踏むな 育てよ 水そそげ」です。

 

「踏むな 育てよ 水そそげ」なんという熱い言葉でしょう。

100年たってもその温度は変わらないと思いました。

 

学園ではこれらの子供の作品の複製画を販売されています

詳細を知りたい方はHPをご覧ください↓

 

※商品の売上は、春濤会に関わる子どもたちの活動や環境づくりのために大切に活用させていただきます。とのこと。